タッチ
あだち充「タッチ」は週刊少年サンデー誌上で1981年から1986年まで連載されました。
この作品の総売上冊数は1億冊を超えるそうです。
アニメにもなりました。
1985年から1987年まで2年間、フジテレビ系列で放映されました。
アニメは通常、半年間25話ほどで完結するものが多いので、こちらもロングランだったと言えるかと思います。
高校野球マンガでもありますが、どちらかというと、ラブコメの要素が強いマンガでもあります。
あだち作品の特徴
あだち充さんの作品は、スポーツ系のマンガが多いです。
ですが、基本的には軽妙なラブコメが基本であり、時折、そこにシリアスな場面が入り込む(そのシリアスさは、むしろコメディの部分が表面上のことで、シリアスな本質を隠すためのものだったのか、と思わせる)のが特徴です。
タッチについては、スポ根マンガの系譜とは違った野球マンガです。
ヒロインの浅倉南と上杉兄弟の三角関係、兄弟の相克(これは上杉兄弟だけでなく、後半に登場する野球部監督の柏葉とその兄との関係にも対比される)、これが物語の軸であり、試合に勝つことというのはむしろ作品のテーマではなく、そうした身近な人との関係性を克服していくことこそがテーマとなっていきます。
実際、タッチの場合、野球という要素を取り除いてみると、三角関係にあった者のうちの1人が亡くなり、残された2人がその後どうしたか、ということの話になります。
お互いが他の異性に惹かれることなく物語が進んでいくところも特徴的です。
この構図からも、物語の主眼は残された2人の関係にあります。
亡くなった双子の弟のことをいかに受容し、それを乗り越えていくか、ということも大きなテーマです。
実際、兄の上杉達也は、弟の克也の役割を担うことを最初は目標にしますが、それに苦しむことにもなります。
最後、達也は弟であることではなく、自分は自分である、ということによって、その苦しみを脱していきます。
弟が南に約束していた「南を甲子園に連れていく」という呪縛をいわば脱した形になるわけですが、その呪縛を脱するためには、達也には克也を超えることが必要であり、甲子園に行く過程を通じて自身も成長していき、やがて弟を乗り越えていくーー
これが大きなテーマです。
野球というのは、ただの手段になっている時点で、スポ根マンガとは違った作品だ、と言えるでしょう。
私の個人的な意見としては、ヒロインはむしろ兄弟2人に対して(悪意がないのに)大変な重荷を与えているのではないか?とさえ思えてしまう部分もあります…
という意味では、ヒロインに意思はあるんだけれど、実際には救われるヒロイン、救いに行く勇者、という構図がここにあり、ヒロイン自身には意思がない?というようにも思えます(他の異性に惹かれないことになっているのもそう感じさせる)
ヒロイン側からすれば大変都合がいい話にできているようにも思えますが…
ということで、タッチの南ちゃんは、竹取物語のかぐや姫に似て、罪な存在だと私には思えます…
タッチを通してみる80年代
マンガのちょっとした描写、背景、小物といったものに、当時の空気感が透けて見える部分があります。
タッチも、大きなスピーカーとオーディオ(しかもレコード)が部屋にあったり(当時は思春期の若者の憧れの一つはオーディオセットだった)、読書する習慣が残っていたように伺えたり(石坂洋次郎のことがセリフに出てくる)、登場するキャラクターのファッションや、形が古い車の形状や、街の風景など、そういったものから当時の情景を感じ取ることができます(これは、マンガよりもアニメで感じることができるかもしれない)
何よりも、高校生の日常が「ああ、昔はこうだったかもしれない」と思わせるものがあります。
それは単純に「懐かしい」と思われるものです。
その描写が作為的なのか、事実なのかは、私には判断し兼ねますが、「こういう生活、羨ましい」と思わせるものはあると思います。
個人的な体験
私はタッチをアニメで2回ほど通して見ています。
いずれもテレビの再放送です。
1回目は小学校3年生くらいの時で、小学校から帰宅した頃の時間帯にテレビで流れていました。
2回目は、中学2年生くらいの時で、これも帰宅したくらいの時間帯に放送されていました。
非常に影響を受けた記憶があります。
なお、大学に入学して、大学生協でタッチのデラックス版をわざわざ取り寄せで注文して購入する、ということまでしました(大学生協でマンガ買ってもいいんですけど、学術書を予約するのとはちょっと意味が違う…生協のおばさんに失笑された記憶があり、いまとなっては恥ずかしい思い出…)