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よつばの日記帳

智代アフター|痛みと苦しみの果てにあるものは?|ゲームの思い出

2020-07-19

智代アフターとは?

「智代アフター」とは、keyがCLANNADを発売した後にスピンオフ作品として2005年に発売した、CLANNADの関連作品です。

作品のボリュームとしてはそれまでのkeyの作品に比べて短めであり、おまけ扱いで作中の登場人物が制作していることになっている戦略系のミニゲームが単独で遊べるようになっていたりもします(ミニゲームというレベルではないボリュームで)

登場人物は、CLANNADの主人公だった岡崎朋也と坂上智代を中心に、智代の弟の鷹文と鷹文の元交際相手の河南子、そして、智代の父親の隠し子で母親に育児放棄され智代たちと同居することになる幼稚園児・とも、この5人の物語となります。

CLANNADの登場人物はほかにはほとんど姿を見せず、主人公の悪友だった春原も現れない、ということで、まったくの独立した話として扱われています。


智代アフター ~It's a Wonderful Life~ OP

CLANNADとは違う話

CLANNADのテーマだった家族・絆というテーマは、本作にも引き継がれています。

ただし、本作のテーマに対する答えの出し方は、CLANNADとはだいぶ違っています。

ストーリーの長さは従来の作品に比べ長いというほどではなく、若干の分岐はありますが、大まかに言えば主人公と智代の間の関係にともが入ってくるというシンプルな流れで作品は進むことになります。

そして、ともと母親のことが起点となって、ストーリーは大きな転機を迎えることになります。

主人公は廃品回収を仕事としている、というところも違いますし、エンディングの迎え方も、ハッピーエンドではない終わり方をします(ただし、困難と引き換えに純愛を貫くという意味では、違う幸せがそこにあるという見方もできる)

擬似家族(以下、ネタバレです)

この作品では、主人公と智代がまるで父親と母親で、2人の間に生まれた子供がとも、年の近い兄弟として鷹文と河南子がいる、というような関係にあります。

この5人は、戸籍上の繋がりがあるのは智代と鷹文だけであり、他の3人は繋がりがありません。

奇妙な同居が始まるのですが、その期間は決して長いとは言えません。

そうと知ってか、作中ではともは非常に愛らしく描かれています。

状況は複雑で、深刻であり、ドロドロしているかもしれないのですが、そんなことは関係なく、無邪気に可愛らしいキャラクターとして配置されています。

その後、ともの母親は、恵まれない境遇にあり、水商売をしていたときに智代の父親と恋仲になって妊娠し、ともを出産したものの、自身が病にかかっていることが判明し、さらに智代の父親との関係も終わったことから絶望し、ともを育てることができないと判断、娘の幸せを願って自ら身を引いた、ということが判明します。

このことが起点となり、ともを実の母親と暮らさせるのか、今までのように主人公たちで面倒を見るのか、という対立が起きることになります(これが原因で、主人公と智代は仲違いしてしまう)

主人公は、こうした事情を抱えた人たちのための学校を建設しようとします。

その途中で、事故に遭います。

何とか学校は完成し、ともは母親と共に過ごすことになるのですが…

智代はこの結果を渋々としか受け入れられないように見えます。

そして、この学校建設の時の怪我が、結果として、主人公に重大な影響を与えてしまいます(しかも、ともと母親が一緒に暮らし始めて間も無く、母親の容体が急変した、という知らせも届く)

主人公は、事故の影響で記憶が長く持たない(1週間で記憶がリセットされる、とゲーム中では説明されている)状況になります。

主人公が自分の状況に気がついたのは、事故から3年後だった、ということになっています(その間、智代は主人公の世話をしていた模様です)

1週間しか記憶が持たない中で、智代はひたすら根気よく主人公の回復を願いますが、実際にはそれは非常につらい3年間だったはずです。

そして、智代はかつてみんなで暮らした(今は誰も住んでいない)アパートへと不意に戻ります。

そして、主人公のことがやはり忘れらないことに気がつき、再び病院へと戻ります(だが、主人公は智代のことをやはり覚えていない)

その後、主人公は、智代にプロポーズします。

何度も記憶を失って、それでも、やっぱり主人公は、智代を好きになる、というわけです(とても切ないですが…)

そして、主人公は、記憶を取り戻すため、頭に出来てしまった腫瘍を取り除く手術を受けます。

その結果、記憶を取り戻すことに成功したものの、主人公は手術が原因で長く生きられないまま亡くなったらしいことが暗示されます。

強くあれ!

こうして見ると、実に困難ばかりが降りかかってくる展開であり、良かれと思ってしたことが原因で悲劇が起きてしまったりする(しかも、自分たちには直接関係ない出来事が遠因となって生じた状況をなんとか良くしようとして、という…)実に困難な状況です。

ともを母親の元に送り出す時も、そして、アパートから病室の主人公のところへ戻った時も、智代は「強さ」ということを口にします。

何があっても、挫けてはいけない、

そのためには、強くなければいけない…

それにしたって…

起きていることはあまりにも残酷すぎます(しかも、主人公まで亡くなってしまうのですから)

そこまで苦しんだ先に、一体何があるのだろう?

これもまた、人生の大きな問いであることは確かです。

key作品に流れる「幼き頃の思い出」への憧れ

keyの作品には、よく子供時代への憧れとも思えるような描写が現れます。

ゲーム中で両親と3人で幸せに過ごしている幼稚園児がクレヨンで描いた絵のようなものが登場したり、幼い頃に叶えられなかった願いを切実に叶えようとするキャラクターが出てきたりします。

これらに共通しているのは、幼い頃への郷愁、あるいは(神聖化さえされているかのような)幸せな家族への憧れです。

CLANNADでは悲劇は奇跡が起こったことで幸せへと向かったのに対し、智代アフターにおいては、悲劇のままです。

しかも、人の幸せを願って行っていたことの途中の事故で、不幸が起きています(その幸せを願った相手が誰だったかを考えると、ますます心境は複雑になります)

純化する想い

もしかすると、主人公の想いだけは、その周囲の人々に確実に残ったのかもしれません。

主人公の存在が、智代を含め関わった人々を強くし、生きる希望も与えたのでしょう。

そんな、人の溢れる想いが純化していくのを、プレイヤーは目撃することになります。

手術後、主人公が智代と見た夕陽のシーンがあります。

ただそこにあるのは自然の風景なのですが、一辺倒な価値観では表すことができない、人生の幸せ、後悔、過去への郷愁などいろんな想いを超えた感慨というものが、そこにあるように思います。

余計なものを取り払った、平穏なる境地が、そこにあります。

人生の宝物とは、まさにそういうことなのかもしれません(あるいはそこまでに至る人生の道のり・過程そのもの?)

問題を多くはらんだ作品ではありますが、投げかけてくるテーマは、言葉にできない大きさと、言葉にできない感情をもたらします(私はこの作品がkeyの作品のなかで1番好きです)

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