目次
日本で起きたインフレ
日本では、かつて何度か大きなインフレが起きています。
それについて、江戸時代以降から振り返ってみたいと思います。
(それ以前のことについては、貨幣経済が発達していなかったかもしれないので、影響は不明です)
江戸時代
- 元禄時代
- 宝永時代
- 元文時代
- 幕末(安政以後)
戦前
昭和恐慌への対応(高橋財政)とその後の政情不安
戦後
戦後インフレ
列島改造によるインフレとその後のオイルショック
それぞれの背景・詳細
1は、幕府の財政拡大にともなう赤字解消のために小判の金の含有量を引き下げたために発生
2は、大地震と地震以外の件での財政支出の増大の対策として銀貨の銀の含有量を引き下げたために発生
3は、徳川吉宗の緊縮財政により物価が下落したことを背景に、小判の金の含有量を減らしたことにより発生
4は、開国に伴い金と銀の交換比率の差に着目した外国商人による大量の銀の持ち込み、小判の流出に対処するための交換比率の改訂(金の含有量の引き下げ)のために発生
昭和恐慌は、第一次大戦後の不況、金融機関の不良債権の拡大、関東大震災の発生とその対応としての経済政策など、様々な要因が重なっている最中に、金本位制に復帰しようとする政策が裏目に出たこと、さらにそこに世界恐慌が重なり結果的に円高が発生してデフレが発生、その対策として高橋是清が行った財政政策により発生
戦後インフレは、第二次世界大戦中に生じた国家財政赤字を補うための国債(個人が多く購入していた)が多額に上ったこと、賠償金、戦後復興に伴う経済回復などが影響したことにより発生
戦前戦後のインフレの特徴
昭和恐慌に伴う高橋是清の政策により、急速にデフレは解消し、一転してインフレになった。
その後、軍事費の削減を実行しようとするが、結果として高橋是清は2・26事件で暗殺される(大不況が発生したことによる農村の疲弊などを背景に一部の将校がクーデターを起こした結果だが、その後、一時削減された軍事費は増大していくことになり、さらにそのために高橋の敷いた政策は軍事費の調達に利用されることとなる)
この事件のあと、高いインフレが続いていき、国民生活は圧迫されていくこととなった(将校たちの行動はむしろ農村や国民を疲弊させる方向に働くこととなった、と言える)
戦後インフレは、国債の価値を暴落させた(デフォルトはしなかったが、国債を保有していた人たちは大打撃を受けることになった)
インフレを押さえ込もうとした結果、貸し渋りなどが起きて企業倒産が起きるなど経済的に安定しなかったが、朝鮮戦争が発生したことにより日本国内の景気が回復したことによって経済は持ち直した。
やがて、高度経済成長が始まると、緩やかなインフレが起きていくこととなった。
列島改造によるインフレは、田中角栄政権になってから行われた構造改革とともに発生、その後に起きたオイルショックは、産油国が石油の減産することで原油価格を上昇させることを決定したことを発端としていて、エネルギー源を石炭から石油に転換していた世界中の国々に大きな影響を与えた。
1974年には戦後初のマイナス成長(-1.2%)を記録して、高度成長時代はここで終了することとなる。
オイルショックによる不況の原因は、石油価格の変動というよりはそれ以前・以後の日本銀行の政策によるところが大きかった、とする見方もあるが、第二次オイルショックでは対処することに成功したことで経済への損害は小さくて済んだ。
(歴史の事実とその背景や経緯をなるべくそのままに列挙することに努めましたが、見方によってはこれと異なる見方が存在します。事実とは異なる部分がある可能性もありますので、もし疑問に思う部分がある場合は、ぜひご自身で調べていただくことを望みます)
いき過ぎたインフレは大きな影響を与える
以上のように、日本において起きたインフレは、大まかに、
- 通貨価値を操作すること(通貨の切り下げ)で発生
- 国際情勢の変化に伴う影響で発生
- 金融政策の失敗により発生
- 戦争の影響
となると思われます。
特に後半は状況の変化への対応を間違えたり、結果として裏目に出てしまったことが原因となっています。
先が見通せない中で政策は実施されます。
未来を完全に知ることは誰にも不可能であり、その渦中にいる時に下された決断を責めることはできないのかもしれません。
ただ、少なくとも「適切に対処する」ということが、被害が発生したときには必要で、2次被害を最小限に防ぐ手段となる、と言えそうです。
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世界で過去に起きたインフレ
目次1 世界的なインフレの歴史の一例2 インフレが発生する原因3 ハイパーインフレへの対策とは何か4 20世紀後半はインフレになりやすくなっている5 インフレ・デフレはどういう状態か 世界的なインフレ ...
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