運

よつばの日記帳

運がいい、ということ|運の良さ・悪さについて

2020-08-03

運がいいとはどういうことか?

運は姿形があるわけでありません。

目には見えませんが、自分が行っていることが順調に行っていると「運がいい」と感じたり、いろいろな困難の中にあってもちょっといいことがあったり、危うく大事故が起こりそうだったところを回避できると「運がいい」と感じます。

逆に、自分にとってよく無いことが起き続けると「運が悪い」と感じますし、失敗が続いたり一度に大きな損害を受けたりすると「運が悪い」と感じます。

結局、運の良さ悪さを判断する材料は、起きた結果の良し悪しと、それが連続しているかどうか、そしてその結果の捉え方だと言えますし、さらに運の良し悪しに関わることとして日々をどのような態度で生きていくのか、ということにも関わります。

運がいい人の行動にはパターンがあるらしい

運がいい人にはおおよそ以下の傾向があるようです。

  • 信仰心が厚い、あるいは人知を超えた大いなる存在に帰依している
  • 自分以外の人や環境に対する感謝の気持ちを忘れず、実際にそれらに対する施しをする
  • 何事にも固執しない
  • 無理して生きようとしていない(自分本位、他人の願望と自分の願望を分けている)
  • 運が悪い人と付き合わない
  • 過去に囚われず、他人と自分を比較しない
  • 自分に良い自己暗示をかけている(よい思い込みをする)
  • 笑顔でいる
  • 身だしなみを整えていて、自分の周囲の整理整頓や掃除ができている
  • 他人の悪口を言わない

つまり、自分も自分の周囲も心地よい状態が保たれている、と言えそうです。

自分が心地良くあるためには、

  • 執着することを捨てる
  • 起きたことは素直に受け入れる
  • 嫌な気分を遠ざける
  • 心を整える

ということが大事であり、周囲が心地よい状態であるために

  • 整理整頓や掃除をする
  • 相手に対する気遣いを忘れない(身だしなみを整える)
  • 他人を批判しない
  • 他人の評価を気にせず自分の幸せを追求する
  • 周囲に対する感謝を忘れず、実際にそのための行動もする

ということのようです。

つまり、行動や考え方が心の状態を決める

これらに言えることは、運が良くなる行動をとるから運が良くなる、ということであり、運が良くなる考え方をしているから運がいい、ということです。

人に攻撃的であれば、相手はその人を敵と見なすでしょうし、そうなると良好な関係は築けないばかりか、相手に対して悪意を持ち続けることになります。

その結果、自分の心の中にも悪意を持ち続けることになり、それが自分の行動をさらに悪意に満ちたものにしていく、という悪循環に入っていくことになります。

その逆、好循環の中にいると、良いことがどんどん起きていく、ということです。

好循環のためには、やはり自分自身と周囲の環境を整え、周囲の人への考え方と行動を良いものにし、起きたことについての捉え方も改める、ということが大事です。

心の状態が結果を左右する

人間は、複雑な心理を持った生物です。

動物ならば生存するための本能だけで生きられたのでしょうが、人間の場合は集団で生きる共同体や社会を作り、その関わりの中で生きていくようになりました。

その結果、いろいろな悩みを抱えるようにもなりました。

ですが、悩まされなくなれば心地良く生きていくことができるはずです。

身体的なこともそうですが、心の状態が、人が生きていく中で起きる出来事の良し悪しを決めています。

起きた結果の捉え方次第で運が良いとも悪いとも感じる

結果は自分の心とつながっている、とも言えます。

物事には、自分でコントロールできることと、コントロールできないことがあります。

物事の結果は、これらのコントロールできること・できないことの2つの場面でおきますが、もしコントロールできることをうまくコントロールできれば、不幸な結果を避けることができます。

そして、どうしても良いことも悪いことも起きるのですが、悪いことが起きてもその捉え方を変える、つまり良し悪しの尺度を変えることができれば、運がいいと思うことが可能なこともあります。

もし財産の半分を失ってしまったとしても「半分も失ってしまった、もうダメだ」と思うか、「まだ半分残っている、ラッキーだ」と思うかではだいぶ違うと思いませんか?

あるいは、大災害に遭って家土地財産を失ったとして「もうダメだ」と思うのか「命が助かった、ラッキーだ」と思うかでその後の生き方がだいぶ違うはずです。

雨が降って憂鬱な人もいれば幸福な人もいるように、起きたこと自体はただの出来事であり、そのことで影響を受けるのなら要素としてはそれは半分、起きたことに対する捉え方・ものの見方が残りの半分だ、とも言えます。

批判精神がなければできない仕事もある

なお、人の批判をするな、とはいいますが、そういう要素を多く含んだ仕事も世の中には存在します。

文芸評論や各種の批評、評論、それに文筆活動などは批判精神が無いとできない仕事です。

さらに、自然科学の分野の研究活動は、批判精神が必要です。

くよくよしてはいけない、といいますが、科学者がくよくよしないはずがありません。

そうしたくよくよする気持ちを抱えながらも、その中で新たな発見をしているというのが実際です。

ポジティブでなければいけない、とか、運が良くなるためにはネガティブなことを遠ざけなければいけない、とはいいますが、それだけでは物事の真理にはたどり着けないのでは無いか、とも思います。

生真面目に生きず、少し力を抜いて生きた方が楽

社会を見ていれば、きちんとやりすぎる人より、むしろいい加減な人が地位が高かったり、お金をたくさん持っていたりします。

することとしないことをきちんと分けていて、何でも自分で全部しっかりきちんとやろう、とすると本当に大事なことをしている時間がなくなるばかりか、心にも余裕が無くなります。

それよりは、やることを絞った上で、そのために努力を惜しまない方が、その一点において誰よりも高い場所にまでいくことができるかも知れない、ということなのかも知れません。

何事も、無理をしすぎて継続できなくなることが1番良く無いことです。

結局、運がいいとは?

つまり、運の良さとは囚われない心を持つことであり、無理せず自分を生きることが大事で、幸運が舞い込むような態勢を整えておくことが大事、ということです。

サイコロを振り続けていけば、全ての目が出る確率はそれぞれ6分の1に収斂していくことになります。

サイコロを振った時の期待値も、

(1+2+3+4+5+6)/6 = 3.5

最終的に3.5になっていくのでしょう。

ところが、サイコロを振らなければゼロのままです。

人生はサイコロではありませんが、6の目ばかりが連続して出ることはなく、1ばかり連続することも無いでしょう。

この波を究極的に平均化すれば3.5に近くなるのだとすれば、あとはそのサイコロをたくさん振っていくしかない。

人生を悲観することなく挑戦を続けていけば、失敗も増えることになりますが、成功もいつかかならず訪れます。

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