差異

よつばの日記帳

人を侮るなかれ|人間、所詮はどんぐりの背比べ|理不尽さについて

2020-07-16

人間としての出来にさほど差はない

人間を個体差で考えた場合、それほどの違いはありません。

運動能力でいえば、確かに100mを10秒以下で走れる人も存在しますが、スポーツカー並みに3秒で走り抜けられるような人間はいません。

いくら足が遅かったとしても、おそらく健常者であれば30秒かければ100mは走ることができますし、車いすの場合でも、時間をかければ100mを移動することはできます。

足が速い、という能力を競うのであれば確かにそれは意味がありますが、日常生活において100mを10秒以下で走ったからと言って、そうそう得する場面はあまりありません(私は陸上競技を否定したくて言っているわけではありません)

また、足の速さではなく、例えば背の高さなどについても、中には極端に背が低い人もいますが、極端に高い人もいます。

それが影響を与える場面はあるにしても、人間そのものを測る物差しとしてはただの特徴でしかなく、1つの特徴のみで人間を完全に判断することはできません。

集団としての人間

人は1人では生きていけません。

複数の人が集まった集団で生きていかざるを得ないのが現実です。

そして、集団であるがゆえに、問題が生じます。

人間は、同じ人間に対してその能力差で差別しを始めるのです。

そもそもの平均の定義すら曖昧なのに、人は平気で人を傷つけ、貶める行動をとります。

悲しいですが、これが人間の現実です。

錯覚の問題

こうしたことがなぜ起こるのか、というと、それは人間の心理が影響する部分が大きいです。

なんとなく人気がある人、という人が世の中にいて、なんとなく人が寄らない人、という人もいます。

これは、人を引き寄せる何か言葉に表すことができない何か確実に影響しています。

汚らしい格好をしていると近寄りたくない、と思ったり、かっこいい・綺麗な格好をしていたり自分と同じと感じさせる何かがあると相手に対する警戒心を解いたり、そういったことは自然と起こります。

この作用は、人間そのものの実力とはまた違うものです。

能力的に優れているのに、人から愛されない人もいますし、その逆もあります。

大抵は、外見上のことでしかなく、そのために最初からとっつきやすいか、それともとっつきにくいか、という違いです。

この最初の部分で得をするか、損をするか、ということが、その人の他人からの評価にかなり影響を及ぼしています。

人を貶めること

ですが、よく考えてください。

人それぞれ生まれてきたからには、その人には父親と母親がいたわけです。

そして、その両親にとってみれば、大事な子どもであることは間違いありません。

何を理由に「人を貶めていい」のでしょうか?

自分が相手だとして、理由にならないようなことで迫害を受けたら、一体どんな気分になるでしょうか?

人間自体の差なんて、ほぼあるようで無いようなものかもしれないのに?

そんなわずかしかない差で「自分は偉い」と思っているというのは、実際にはとても意味がないことであり、人として悲しいことなのではないでしょうか?

立場を振りかざす人

集団の中で優劣が決まり、上に立った人間が下に位置する人間を迫害するとします。

すると、一体どうなるでしょう?

自分がやっていることはその集団の中では正当化されるかもしれませんが、他の集団では正当化されることでしょうか?

立場というものは、言葉に言い表せない曖昧なものです。

偉いと思っているから偉いだけかもしれませんし、決まりや仕組みの中で決められているだけのものかもしれません。

よく、経営者の人が人間的にはひどい人間だ、という場合がありますが、このこともまた、偉い(とされる)立場だからといって、本当に偉いわけでは無い、ということを指している事例です。

人間には所詮、能力に大差などありません。

井の中の蛙でいることは、ある意味では幸せですが、やはりその程度です。

傷つけられた人に害が及ぶだけで、傷つけた方が痛くも痒くもないのも現実です。

やり場のない理不尽さを感じますが、発言力のある人、声の大きい人の意見が通り、力のある人の思った通りに物事が運びやすい、というのが現実です。

倫理観では腹は膨れないが…

私はいままで、人が人を貶めるところを数多く目の当たりにしてきました(だいたい、私は貶められる方です…)

そんなことをして、一体何が嬉しいの?と思うようなことばかりです。

立場を振りかざす人ほど、人間としては未熟であり、性格が歪んでいて、尊敬に値しない人です。

(事実、そうしたことがあまりに多かったので、私は会社を辞めていますが、人間として酷いことをしているのに、悪いという感覚が麻痺しているような人ばかりでした)

世の中には、こうした事例がいくつもあります。

傷つけられることを通して、人を傷つけても何も思わなくなる、というのも事実としてあるでしょう。

とても悲しいことです。

意にそぐわないから、邪魔だから、という理屈が通るなら、そういうことをしている人だってそういうところはかなり持っているのに…

これが、世の中の理不尽さの原因です。

なお、そういうことをする人たちは、自分より能力がある人間が現れたとき、嫉妬心に狂い、相手を認めることもできないまま、不幸なまま人生を終えます。

自らの地位にしがみつくだけで、不幸をばら撒いているということには永遠に気がつくことができないでしょう。

人を馬鹿にすることで得られるものは何もありません。

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