単位とは
単位とは、ものを測る基準となるものです。
数の概念が無いところには、単位が発生することはなかったかもしれません。
数を数える、ということから、数のみを扱う場面が増えていき、その数が表すものをより把握しやすくするために単位が生まれた、と言えるかと思います。
単位はその背景に、変わらない基準が必要となります(基準が狂ってしまうと正確性を保つことができない)
なお、メートルという単位は地球の大きさを元に算出されていますし、太陽暦や太陰暦も、地球と太陽や月の満ち欠けといった自然にあるものを元に作られています。
これはこれで、人間という尺度を超えて安定的に存在し続けるものを基準としている、と言えるかと思います。
単位を統一することの意味
始皇帝
中国で初めて大陸を統一したのは、秦の始皇帝だと言われています。
それ以前の中国は、いくつもの国が乱立した状態にあり、統一した大きな国が存在していない状態でした。
そして、ものを測る単位もまた、バラバラだったようです。
始皇帝は、その治世で単位を統一する、ということを行っています(長さの単位、量を測るマスとはかりを統一した)
このような政策は、世界中の至る所で行われることがありますが、その効果としては、混乱が避けられること、が挙げられます。
いわば、自分が日本語を喋っているのに、相手はそれとは異なる言葉を喋っていることからくる意思疎通ができない状態を阻止するのと同じようなものです。
単位の機能
量というものは、単位に数をかけることによって算出することができます。
量というのは連続量と離散量という考え方があり、これはアナログ量とデジタル量と言われることもあります。
離散量とは分割できない最小量があるものを指し、連続量は最小量が存在しないものを指します。
これを音の波形の例でいうと…
デジタルの場合、音の波形は0と1の数字で表現されることになりますが、それは細切れにされた特定の時間のなかにおけるいくつからいくつまでの範囲の中のどれくらいのところにその音があるか(という値)、ということをつなげていくことで表しています。
アナログの場合は、音の波形そのものを分解することなくそのまま扱っていることになりますが、範囲の指定というものはありません。
これらの前提となるものとして、特定の基準でその対象を切り取る、という作業が必要であり、そのため、単位はとても重要な意味を持つことになります。
計量できないものはどう測ったらいいのか?
単位がある、ということは、なんらかの変わらない基準がある、ということになります。
では、その基準が存在しないものは、どうやって測ったらいいのでしょう?
数に置き換えることができなければ、おそらく単位として正確に表すことはできません。
人間の心、というものは、こういう理由で単位をつけることはできない、ということになるでしょう。
科学の前提としては、おそらくきちんと計量すること、というのは必須の条件となります。
自然科学が発展していった歴史を見れば、曖昧さを排除し、客観的に物事を見つめていくことが大事であり、そのために、不純物を取り除いた純度の高いものを精製することも必要で、あるいはきちんと計測し、数値化して、その変化や結果を見ることでなんらかの法則を導き出す(再現性があることを条件として)、というプロセスを繰り返していくことで発展してきました。
訳のわからないことを排除し、純粋なるものを追求してきた結果、私たちは様々な恩恵を受けることができるようになりました。
しかし、一方では、数値化できないものは置き去りになったままである、ということにもなるはずです(そもそも計測することが技術的に不可能だった、という理由もあるかとは思いますが)
見えるもの、見えないもの
もしかすると、これはいくつかのことを含んでいる例かもしれません。
- 目に見えるもの → 数値化できるもの
- 目に見えないもの → 数値化できないもの
- 数値化できたものについて検証することで → 見えるもの
- 数値化できたものについて検証したけれど → 見えないもの
もしかすると、最初の段階で「数値化できたかどうか」というフィルターによって、大事なことが含まれていることも取り除かれている可能性があるかもしれません。
そして、数値化できたとしても、そこから人間が何かを見出すことがなければ、それはなかったものとして扱われている可能性があります。
結果として、見えるものだけを大事にしている、という傾向があるかもしれない…
このへんのことは、もしかすると人間の能力の限界、と言える部分です。
私たちが信じていること、というのは、もしかすると氷山の一角で、その中でも理解できることだけを取り出しているだけであり、本当のことはまだ海面の下に隠れているかもしれない、ということだって十分にあり得ます。
単位、尺度というものだけに目を向けるということは、もしかするとそうした危険も含んでいる、ということになるのかもしれません。
目に見えることだけではなく、目に見えないことも大事にしていくということの意味はここにあり、切り捨ててしまうことで失われるものがある、ということは、覚えておくべきことだと思います。
(単位で測れるものは、とても便利ですけれどね…)
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