ファミコン

よつばの日記帳

ファミコンの思い出

2020-07-27

ファミコンがやってきた!

私は1980年に生まれました。

そして、保育園に通っている1985年、ファミコンが家にやってきます。

最初あった手持ちのカセットは、スーパーマリオブラザーズとスパルタンXの2本でした。

カセットが1本ずつ増えていき…

保育園のころにはそんなにファミコンは遊んでいなかったように思うのですが、小学校に上がってから私はファミコンで遊ぶようになります。

そして、年に1回、夏祭りのときに、地元のおもちゃ屋さんでファミコンカセットを1本買ってもらっていくというペースでカセットが増えていきます。

ゲームの評判などを学校の友達やマンガ雑誌などを参考にしながら、必死になって検討を繰り返しつつ、折込ちらしを見比べたりもして本当に真剣になって選んでいた記憶があります。

最終的に、カセットは2本から15本程度にまで増えました。

新品で1本5000円から7000円程度したので、お年玉以外にお小遣いをほとんどもらわなかった小学校時代の私にとっては新しいカセットはまさに一大事でした。

午前8時から午後5時まで

本当にひどい時には、日曜日の朝8時から午後5時までファミコンでずっと遊んでいたこともありました。

ドラクエ3でひたすらレベルアップのために敵を倒して回ったり、そこでお金をためて強力な武器を買うことに熱中したり、そんなことばかりしていました。

(いまだに、あの熱狂はどこから来たのか、自分でも理解できません)

1985-1999

ファミコンは、その後私が19歳になる頃まで現役で稼働し続けました。

ファミコン本体もカセットも壊れなかったためです。

新しいハードウェアを買うことがその間無かったため、実に15年ほどの長期間、メインのゲーム機として活躍しました。

その後やってきたプレイステーション、プレイステーション2は、ただ置いてあるだけの存在になりました(プレイステーション2はDVD再生機として使用)

熱狂のあと

その後、ファミコンはデジタルテレビでは画像を映すことができなくなったため、役目を終えました。

ファミコン互換機を買ってくればきっと同じように遊ぶことはできると思いますが、それよりもゲームに対する情熱がそこまで湧いてこなくなった、というのが実感としてあります。

子どもだったから熱中できたのか、他に熱中できるものがなかったからなのか、そもそも歳を取るとそうなってしまうものなのか…

理由はわかりません。

ただ、十字キーを操作する左手の親指が凹んで形が変わるくらいに熱中した、という事実だけは確かに残りました。

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