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コラム

人間は自由の刑に処せられている

2020-07-11

今回は、哲学者サルトルの「人間は自由の刑に処せられている」という言葉とその教訓についてです。

人間は自由の刑に処せられている

「人間は自由の刑に処せられている…刑に処せられているというのは、人間は自分自身をつくったのではないからであり、しかも一面において自由であるのは、ひとたび世界のなかに投げだされたからには、人間は自分のなすこと一切について責任があるからである。」

これは、フランスの哲学者サルトルが語った言葉です。

人間は、生まれたからには自らすることの全てに責任を追うことになる(自分で望んで生まれてきたわけではないのに)というような意味になるでしょうか?

生まれながらに責任を持って生きることを強いられるわけですね。

なお、サルトルに言わせると、人間にはあらかじめ決まった目的はない、ことになります(「存在は本質に先立つ」という言葉はそういうこと)

そして、サルトルは、人間はどのように生きようが自由であり、自分の選択で自分を見つけていかねばならない、人間のあるべき生き方は、自らが主体的に選んだ人生を歩むことである(既存の道徳や宗教や権威にもたれかかり流されることではなく)、と主張しています。

サルトルが生きた時代

サルトルは1905年にフランスのパリで生まれ、1980年に亡くなっています。

この時代は、

  • 1914年 第一次世界大戦勃発
  • 1929年 世界恐慌
  • 1939年 第二次世界大戦勃発
  • 1945年から1989年 東西冷戦

という出来事が起きています。

この流れの中で、サルトルは召集されて従軍もしています。

サルトルの哲学的な立場は実存主義と言われますが、その背景となったものとして、不安があります。

戦争を背景に、それまでの価値観が崩壊する中で、生きるよりどころをどこに求めたらいいかわからない不安が広まっていました。

その不安に対し、一つの答えを出したのがサルトルの哲学だったようです。

不安を解消するにはどうしたらいいのか?

サルトルは、アンガージュマンという言葉を哲学的に主張します。

人間というのは、社会問題や政治に対して自ら主体的に自由に参加することで過去を乗り越え、自己を否定しつつまだ存在していないものを作り出していくものであり、人間のあり方は、現実の状態からの自己解放と、まだ存在しない目的へ向かっての自己拘束である、とします(自己拘束・参加=アンガージュマン)

engagement[仏] アンガージュマン … 関与・拘束

(英語ではエンゲージメント、に近い?)

そして、それぞれの状況に働きかける各自の選択こそ、重視するべきものだ、としています。

なお、この選択には責任が重視されており、サルトルの哲学は倫理的な色彩が強い哲学だ、とされるようです。

冒頭の「人間は自由の刑に処せられている」という言葉も、これを背景に述べられた言葉です。

基準がないことによる不安、モデルを失った時代にあって、サルトルは、そもそも人間には生きる目的など無く、既存の価値観に縛られることなく自らの選択で自らの生き方を選択しろ(ただし、選択するからにはそれを生きる責任がある)と言っています。

サルトルは、安易に生きることを否定し、そうした生き方を突き放しているのかもしれません。

現代への教訓

おそらく、ですが、これはかなり自律的な生き方です。

自己を確立し、常に自己批判しながら自律的に生きていく、ということが前提です。

価値観に流されずに生きろ、ということも、その現れかと思います。

正直、けっこう厳しい生き方です。

古代の教訓として、哲人政治(哲学による政治)宗教政治(宗教による政治)法治政治(法律による政治)があったと思いますが、現代にまで残っているのは法治政治です。

その中心的な部分には、堕落することを戒め、自律的に物事を解決していくというものが流れていると思いますが、ある意味で1番安易に運営できたもの(様々な状況に1番耐性と柔軟性があった)?が法治政治だったから残ったのではないか、と私は思っています(本来の姿とは違っていたとしても)

サルトル的生き方は理想的ではありますが、現実にそれを行うことはかなり難しいのではないか?とも思います。

だからこそ、逆にそれを行うことができれば、生きにくさを克服できるのかもしれませんが…

世の中の標準、他人の目、人並み、という呪縛

人間は、自分以外の人間と自分をどうしても比較してしまうものです。

それが人を苦しめる原因でもあります。

人間はみんな全く同じではありません。

置かれた状況も違えば、個人が持つ能力も違います。

世の中で成功しやすい人もいれば、しにくい人もいます。

お金に恵まれる人もいますし、そうでない人もいます。

そうした差からくる生きづらさは、どうしても発生します。

そして、その差に悩み、差を気にしないで、脱却していく、というのは、とても難しいのが現実です。

おそらく、そうした苦しみを乗り越えていくことが、人間の1つの理想です。

サルトル流に言うなら、不安に対する答えが参加することであることのように、自分らしく自由に生きていくためには、行動していかないといけません。

不安を解消するためには、その不安に対して立ち向かっていかねばなりません。

結構、辛い生き方かもしれません。

怠ける気持ちがそれを妨げるかもしれません。

ですが、それらを乗り越えて自らの責任のもとに自らの選択で生きていくこと、それがサルトルの言う人間の生き方です。

生きるモデルなんてない、と諦めて、サルトルが主張したように、自らを生きていく(自分だけの生きるモデルを自ら発見して生きる)こともまた、一つの解決策なのかもしれません。

そうやって生きていけたら、幸せかもしれないですね。

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