中心と周辺|組織と効率性

2020-10-01

中心と周辺という考え方

中心という言葉をイメージするとき、それは真ん中であることがまず頭に浮かんできます。

真ん中があるということは、そこから離れた場所にあるものは周辺になります。

偏りがなく全てが同じならば、中心も周辺もない、と思うのですが、実際には、中心にはいろいろなものや情報が集まり、人も集まっていく傾向にあります。

都市を見ればわかりやすいですが、仮にその都市が中心だと、いろいろなものが集まってきて繁栄し、周辺は過疎が進んであまり活発ではない、ということが多くなります。

中心と周辺の考え方の背景には、限られた面積の中での中心、という意味のほかに、人の密度、経済の繁栄、文化という意味での中心があります。

ですので、仮に人口が均一な状態で分布していれば、少なくとも人が密集する、ということは起こりにくく、経済的な都市と地方を生まず、均質な成長を遂げている?ということもあったのかもしれません(それはあり得ませんが…)

意思決定権を持つもの

中心はなぜ生まれるか、それはおそらく、重大な権限を持つ機関が限られているからです。

おそらく、人それぞれが規律にしたがって、誰に言われたわけでもないのにルールを守り、さらに新しい決まりを共有し、それを守って生きていけるのなら、権限はそれぞれの人の中に存在し、上から大きな力で押さえつける必要はなくなるはずです。

残念ながら、現実にはそれはできません。

異なる意見や価値観を持つ人たちが集まって世の中ができていて、その考え方をまとめる必要がどうしても出てきます。

さらに、実際には権限を持ったところにいろいろなものを集めて判断した方が効率的だ、ということもあるかもしれません(うまくいかないと大失敗する、という側面も否定はできませんが…)

大きな権限を持ったところに近い場所には、やはりいろいろなものが集まることになるので、人も住むようになるし、ものも集まっていきます。

ヒエラルキーとネットワーク

中心となる場所にいろんなものが集まっていくのは、ものに情報がくっついているから、かもしれません。

現代では、情報のみをやりとりできるようになりましたので、もしかすると、ものと情報は分離し、情報だけを処理してものは違うところにあり、あとでものを移動させる、ということもできます。

なので、中心となる場所には情報だけが集まり、ものは違う場所にある、という状態も実現できます。

従来の世界では、ものと情報がくっついており、技術的にもヒエラルキー型組織で意思決定を行わなければならなかったことを考えると、中心にはいろんなものが集まっていくのが当然です。

ところが、現代はネットワーク型組織である方が都合がよくなってきているようです。

巨大な組織で運用すると効率が悪くなったり、意思決定が柔軟にできなかったり、新しい問題に対してうまく対応しきれなかったり、費用が余計にかかってしまったり、競争が起こらなくなってむしろ非効率になったり、という問題が発生するようになりました。

ネットワーク型組織を維持できる技術的な基盤も整ったこともあって、巨大なピラミッド型の組織であるよりは、権限を分散し、より平等な意思決定プロセスを重視する組織を運用することが可能となりました。

組織が大きくなるほど非効率

時代の流れなのかもしれませんが、過去の歴史をみると、バラバラな領邦国家だった状態から1つの大きな国家を作ろう、という流れが起きて、その後はその国家の中で権限を移譲して互いに競争させていく、という方がうまく行っているケースが多く見られます。

過去の時代には何かに対抗するために団結する必要があり、団結した後は、なんらかの原因があってその団結した中で権限を分散しはじめた、と言えます。

いったん、効率を求めたはず(巨大な権力組織を伴う中央集権型組織)ですが、それがどうもうまく回っていかない状況が生まれ、結局、中央は残しつつも、権限を分散するようになった、と言えます。

組織が分散すると非効率にも見えるのですが…

もしかすると、巨大組織の稼働率が60パーセントだったとして、組織が複数あって平均でその稼働率が60パーセントを超えていて、しかも非効率が起きて生じた損失を引いた時に60パーセントを超えていれば、組織を分散化した方が効率的になります(組織の非効率、という点では、経済学で収穫逓減、という用語があるくらいです)

さらに、競争という要素がとても大きいようです。

目の前にある欲望、それに向かって走っていくことが競争だとするなら、これが眼前にぶら下がっているかどうかで結果が大きく変わっていく、ということもありそうです。

社会は人間が構成しているので、人間の意欲のあるなしが結果を大きく左右してしまう、ということなのかもしれません。

まとめ

人間は機械ではありません。

もしかすると、人間がまるで機械のように正確で、同じパフォーマンスをずっと残し続けられる存在ならば、こうしたことも起きないのかもしれません。

人間は不完全な存在です。

そこに、なんらかの可能性も残されており、だから希望もある。

(それをうまく使いこなせるかどうかが問題です)

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