さて、そもそも労働とはどういう意味なんでしょう?
その言葉の意味から始まって、働くということの意味を考えてみます。
労働とはそもそもどういう意味なのか?
労働、という言葉は、英語だとwork、job、といった言葉に置き換えられるかと思います。
なお、ドイツ語だと、arbait、beruf、といった言葉になります。
arbeitはジョブ、仕事、といった意味になります。
berufは仕事の意味もありますが、どちらかというと職業、といった意味になるようです。
しかし、違う意味もあります。
それは、宗教的な意味合いで「神から与えらえた使命、天命」といった意味です。
仕事とはなんなのか?(推測も交えながら)
これは、宗教が労働をどう捉えていたか、ということにもつながってくることだと思います。
ドイツは、プロテスタントの国です。
おそらく、このドイツ語もまた、プロテスタントの影響が反映されているのではないか、と思うのですが…
プロテスタントの特徴は、禁欲にあります。
そして、プロテスタントは信仰に重きを置きます。
聖書中心に考える、ということも特徴と言えるかもしれません。
信仰は内面の問題、と捉える傾向がより強くなっている、ということかもしれません。
さて、労働に関してこれがどう影響したか、ですが…
仕事をすることが天命である、ということは、仕事を神が与えた使命として励むことを求めているように思います。
ということは、プロテスタントの特徴である内面の問題と深く関わりそうです。
仕事を一生懸命行うことが、救いになる、という考え方が背後に潜んでいるのでしょう。
これって、一種の修行のように見えませんか?
(仕事には、確かにそういう一面もあります)
日本にはキリスト教はありませんでしたが、日本に馴染み深い考え方で置き換えるなら、きっと「道(どう)」という考え方に近いと思います。
道(どう)とは?
道(どう)という言葉は、仏教の影響を考えるなら、中道という言葉など、いくつか存在します。
道(どう)は、人として行うべきこと、仏の教え、道理、といった意味になりそうです。
道徳、という言葉も、道の字が使われています。
人として行うべきこと(道)、それを極めていく、という意味で○○道という使われ方もします(武士道、相撲道、剣道、柔道、など)
これは、何を意味するか?
おそらく、ドイツ語にいうberuf(職業・天命・使命)は、日本的な意味合いではこの「道(どう)」の考え方に近いのではないか?ということです。
そこには、かなり倫理的な意味も含まれています。
奪うだけの仕事は長続きしない
実際に、近江(滋賀県あたり)商人の「三方よし」の考え方、というものが現代にまで語られていますね。
これは、自分、顧客、世の中世間の三者が共に利益を得られるような商売が良い、とするものです。
相手に配慮する、礼節を持つ、というのは、まさに武道の考え方に似ていますが、これは実際に効果を生む商売の考え方でもあります。
仕事というのは、本来そういう要素を持っている、ということです。
仕事は自分だけでしているわけではありません。
周囲への配慮もしなければ、自ずと自滅していきます。
そして、励むことも大事です。
仕事とは、そうした倫理観を伴う行為であり(仮にそうでなかったのだとしても)倫理観を持って自己を節制し、自らを律していくことで仕事は結果的にうまくいく、ということにもなります。
考えてみると、仕事に対する取り組み方まで、言葉には秘められているんですね。