職場

コラム

【番外編】職場における文化の違い|小さなことの積み重ね

2020-12-27

1週間ほど、ブログ更新ができない状態になっていたことをお詫びします。

実は、個人的な問題のため、私は工場で3ヶ月ほど働くことになりました。

業務に慣れないこともあり、なかなかブログを執筆する時間が無く、更新ができずにいました。

今回は、新しい職場で感じたことを通じて、職場における文化の違いについて考えてみたいと思います。

文化の違い ケース1

私は以前、自動車の修理を行う修理工場に勤務していました。

自動車修理の業界は、個人の能力に頼る部分が大きい世界です。

腕の良し悪しがそのまま結果となって現れやすい仕事でもあり、極めようとするなら、最低でも10年ほど1つの作業に取り組む必要がある、と思います(一生続けても極められるかどうかはわからない、という世界です)

そんな実力を必要とする世界なのですが、私が入社した会社の場合、さらに次から次へといろんな仕事が入ってくる、という会社でした。

これは、経営者の方針だと思われますが、例えば、修理だけを専門に作業しているわけではなく、急にレッカー出動に出るように言われたり、あるいは営業回りにいくことになったり(その途中で連絡が来て違う用事に向かう場合もあった)、事務所に誰もいなければ電話に出るため作業を中断することになったり、支払い客の対応をすることになったり、とにかくいろいろなことをこなす必要がある職場でした。

そのほかに、私はその集団で1番若かったので、掃除などいろいろな雑用もすることになります。

しかも、社長の趣味の手伝いをする、ということもありました。

サービス業なので、予約して来店するお客さんばかりではなく、道路を走っていてたまたま会社を見かけて飛び込んでくるお客さんもいて、急に忙しくなることもあります。

ただでさえ忙しくなりがちな業種なのに、さらに忙しくするような態勢をとっていた会社で、さらに経営者が気まぐれなところがあり、理由の説明もなく作業を中断させられるけれどもその理由は誰も知らない、ということがよくあり、その作業が無駄になることもよくありました。

人間関係が荒い部分がある職場で、かなり厳しい扱いを受けることも多くありました(能力がある人ならばうまくやっていける職場だったのでしょうが、私は全くの未経験で入社したため、特にはじめの頃は大変だったというのが正直なところです)

(自動車整備業がどこもこのような職場というわけではありませんので、誤解しないでください)

文化の違い ケース2

その後、私はいろいろな事情があって自動車修理会社を退職しました。

違う世界に触れてみると、自動車修理会社時代にはわからなかった世界があることをしりました。

人間関係でいうと、従業員同士がお互いに罵詈雑言を浴びせるような社風の会社もあれば、まったくそういうことがない社風の会社もあります。

(私がいま働いている会社は、後者になります)

もちろん、忙しくなることもあるので、そういう時に言葉がきつくなったりする、ということはありますが、後者は前者の比にならないくらいに優しいと言えます(台風とそよ風くらいの違いがあります)

また、時間管理も徹底しており、休憩がきちんと取れることも大きな違いです。

違いが生まれるポイントを挙げると…

  • 業種の違い(労働集約型かどうかの違い)
  • 個人経営に近い会社と株式会社の違い(考え方の違い)
  • 衛生に関する考え方の違い
  • 接客業か工場で機械を相手にするかの違い

これらの要素が異なっていることも影響しているかと思います。

共通するもの

どこの職場でも共通しているのは、

  • 日本語でコミュニケーションしている
  • 最低限の挨拶やマナー
  • 最低限の社会との関わり方

これらは共通する部分です。

(ただし、前者の会社ではこちらが挨拶しても挨拶を返さない従業員もいたくらいですが…)

違いが生まれる部分というのは、基礎的部分の上に乗っている部分、と言えるかもしれません。

それを決定するのは、

  • そもそもの業種の違い
  • 扱うものの違い
  • (特に対人関係で)忙しい仕事かどうかの違い

なのかもしれません。

忙しさについて

もちろん、忙しくない仕事も世の中にはあります。

忙しいことを美徳としている限り、生産性は上がらず、安い仕事をただ休みなくするだけの状態に陥ります。

経営上大事なことは、儲かる仕事を儲かるやり方でやることです。

なので、かけた労力に対して収益が最大化するような対策を打つとするなら、それなりの対策をとる必要があり、それをしているかどうかが働いている人の忙しさ、精神面での問題、給料にも関係してきます。

競争相手が多く、値下げ競争に巻き込まれていて、将来的に発展していく要素があまりない業界の場合、単価が安い仕事を数多くしないと一定の収益を確保できないので、必然的に忙しい状態になります(価格競争から脱する業態にしないと、こうした業界で働く人はおそらくいろいろな面で消耗することを強いられていくと思います)

その他考えられること

(これは余談としてですが)

今後、AIが普及することにより、人間の仕事が減少していく、と言われています。

労働集約型産業(接客・サービス・流通・農業など)の場合、機械では代替できない部分が多いとされています。

将来的にAIの時代になってもAIではできない仕事、という意味では、労働集約型の業種は今後も生き残る仕事が多くあるのかもしれません。

ですが、将来のことは誰にもわかりません。

現在は給料が高い仕事でも、環境が変わったり新規参入者が増えて競争が激しくなったりしてすぐにその地位が失われる可能性もあります。

苦労して資格を取得したけれど、業務を開始したら数年で市場自体が萎んでいた、という場合もあるでしょう。

予測するのは無理、という前提に立った上で、このような悲劇を防ぐためには、自分の軸を最低でももう1つは確保しておき、何が起きても対応できる能力を身につけておくことが必要だと言えます。

文化の違いはどこから生まれるのか?

社風とは、文化です。

文化の違いは、その会社を構成している従業員1人1人がどのような行動をとるかにかかってきます。

そして、それは、規律や考え方が定まっていなければ、1つに収束することはありません。

「言葉にしなくてもわかる」と日本人は考えてしまいがちですが、逆に明文化されていないと大きな逸脱を生む可能性もあり、基準がわからないためにどこまでやってどこまでやらないのかがわからず、余計な仕事が増えることもあります。

これは法律とそれを取り巻く慣習や解釈のように、明文化された部分と明文化されていない部分が必要であり、社風を決めるのは明文化された部分と、社員同士が明文化されていない部分をいかに守っていくかという意識・モラルの問題と言えます。

小さなことの積み重ね

最終的に、こうした文化的なものは、小さなことをきちんとできるかどうかにかかってきます。

床にものが落ちていても知らないふりをして通り過ぎるのか、問題だと思って拾い上げて上司に報告するのか、というような違い、あるいは、コミュニケーションができるかどうか(挨拶、マナーなど)といったことすべてに関わってきます。

大きなトラブルはいきなり起こるのではなく、小さなトラブルが積み重なることで起こります。

それと同じように、小さなことであっても1つ1つをきちんと処理できているかどうかが、大きな差となって現れることになります。

労働集約型産業の場合は特に、それを構成する人材の差が結果に大きな影響を与えます。

1日ですべてがガラリと変わることはありませんが、現状を変えたいと望むならば、1人1人が小さなことを徹底していくことを通じてしか変化は起きません。

どうしても無理な場合、自分と自分の人生を守るためにも、違う環境に移ることが大事です。

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