私は高校生の時、7ヶ月だけ部活に入っていました。
それが吹奏楽部でした。
なぜ吹奏楽部だったのか?
音楽をやってみたかった、というのが入部した動機です。
バンドでもよかったはずですし、他の音楽系の部活もあったのですが、何故か、吹奏楽部に入部することになりました。
当時、同じクラスに吹奏楽部に出入りしているクラスメイトがおり、その人に声をかけてみたところ、たまたま仲介してくれて、そのまま吹奏楽部の部長に面談を受ける、ということになりました。
それも大きかったのかもしれません。
ちなみに、音楽に対してはイメージ先行で、詳しいことは何一つ知りませんでした。
当時の私は好きな音楽のジャンルの幅も狭く、高校1年生になりたてでお金もなく、本当にただの憧れだけしか持っていませんでした。
担当した楽器
当時、部長だった3年生部員に最初に引き合わされたのですが、その時に勧められたのがチューバでした。
チューバは金管楽器のなかで最も大型で、1番低い音を出す楽器です。
楽団の中で重要なパートでもあります。
そもそも音楽というのは、この低音を出す楽器というのが基礎を作ります。
そんなことも私は知らないまま、ただチューバを勧められて、そのままチューバ担当になってしまいました。
いきなり「吹いてみろ」
面接に行ったその日、いきなり部長から「吹いてみろ」と言われました。
おそらく、音が出ないということを通じて、そんなに甘いものではない、ということを教えようと思ったようです。
楽器にはそれぞれクセがあり、金管楽器の場合はマウスピースに息を唇の振動を与えた状態で伝えないと音になりません。
私はそれも知りません。
ですが…
私の場合、2回目でいきなり音が出ました。
最初はスー、と息だけが通り抜けた空の音が出ただけ。
そこで、どこかで聞いたことがあった「唇を震わす」ということを思い出し、それを実行してみました。
すると、音が出たのです。
部長は驚いていました。
チューバ担当
あとで分かったのですが、吹奏楽部は人手不足に悩んでいたようです。
人数が集まらないと運営できない部活です。
しかも、たまたまチューバ担当者が3年生だけで、2年生がいない、という状況でした。
つまり、3年生が卒業すると、吹奏楽部は危機に陥る、ということが目に見えていた。
そんな事情もあって、たまたま来た私がチューバを割り振られることになった、ということのようでした。
…ちょっと無理があるけれど、組織とはそういうものみたいですね…
吹奏楽部という世界
高校生から入部するには、吹奏楽部はハードルが高い世界でした。
ほとんどの部員が中学から吹奏楽を始めた人ばかりで、本当に音楽が好きな人ばかりでした。
おまけに、ピアノやギターなど他の楽器まで弾ける人も多くいました。
この時点で力量の差は明らかです。
初心者で入部すると大変な目に遭いそうですが、私は無謀にも入部してしまいました。
さらに、部活としても、ちょっと特殊です。
女子部員ばかりの世界なのです。
しかも。
女子部員ばかりなのに、部長をやるのは男子部員だったり、指揮者(バンドマスター)も男子部員だったりすることが多い。
これは、女子特有の現象のようですが、女子同士での目に見えないいがみ合いが存在するようで、それが原因で女子がトップに就くといがみ合いが起こる、ということのようでした(冷静な目で見ると、男子が就いた方が丸く収まるらしい、という世界らしい…)
ちょっと歪な世界だ、と思いました。
人間関係の問題
吹奏楽部でやっていくには、人間関係を上手くこなさないといけない、ということが身にしみてわかりました。
そういった気苦労が多い部活でした。
私は、これがとても苦手です。
正直な話、当時は女性の顔がみんな同じに見えるくらい、他人にあまり興味がなく、女性にも興味がなかった状態でした(これは誇張ではなく、本当の話です…)
クラスメイトの顔は判別できますが、それ以外、特に女子生徒などになると、全く顔を覚えられない、という状態です。
それなのに、部活の他の部員と仲良く、というのはかなりハードルが高い。
私はことごとく、少人数と付き合うようなことにしか向いていない人間らしい、ということのようでした。
そんなこともあって、心理的負担が増していきます。
音楽が好き
わからないなりにも、私は楽器を吹けるようになりたい、という一心で、練習に明け暮れます。
7ヶ月経つ頃には、楽器をそれなりに操れるようになりました。
やはり、音楽が好きだったんだと思います。
ですが、私はその後、部活を辞める、という選択をとります。
退部した背景
これは、どういうことだったのか、今となっては反省する部分も多く、迷惑をかけた人も多くいたので、よかったとは言い切れないことなのですが、当時の私がある意味で純粋すぎたのが原因です。
他の部員が一生懸命やっているのに、一部の部員が裏切り行為をしていた(と私には映った)のを目撃してしまった、というのが原因でした。
問題を目の当たりにして、何かがふっと切れてしまいました。
それが、当時の私にとってはとても大きな問題だったのです。
続けていくのは無理かもしれない、と思ったのは、その出来事が1番の原因でした。
他に、学業との問題もあり、部活で大人数と関わるということが少し苦手に感じていたことの負担もあり、あるいはその頃から私が少しうつ病的な傾向を発していたことも大きな原因があったのだと思います。
つまり、悩みの中にいた、ということです。
辞めるべきではなかったかもしれない、とは思うこともあります。
ですが、やめなければいけなかったのかもしれない、と思うこともあります。
これは答えが出ません。
その後の影響
部活を半ば強引に辞めてしまった私は、その後、半年ほど後には登校拒否にもなり、高校生活はほぼ大失敗に終わります。
部活が悪いわけでもなく、部活を辞めたことが悪いわけでもない。
ただ、これは偶然が重なっただけです。
それだけ、個人的な問題を多く抱える時期だったんだ、と現在は思っています。
ただ、あんまりにもいろんなことが起きすぎて、自分でもそれを茫然と傍観していることしかできない、というのが実態でした。
自分の意思はそこに介在していたはずです。
だけど、もう流れるままに歩んだ結果、そうなっていた、としか言えない。
きっと、流れに反して行動しても、似たような結果にしかなっていなかっただろう、と思います。
吹奏楽に限らず、音楽に触れない方がよかった、ということではないのですが、やはり当時の外部の状況についても、当時の自分の状況についても、どうしても残念に思う部分は多くあります。
(次回に続く)