経済

コラム

経済環境は変化する その3

2021-01-17

新型コロナウイルス流行前と流行後

これを書いているのは2020年12月31日です。

2020年は、新型コロナウイルスの大流行によって大きな影響を受けた年となりました。

ちょうど1年前、私が住む地域はまだ感染者も出ておらず、遠くの出来事のようにも感じていましたが、じわじわと影響が広がっていく中で私の周辺でもこの問題の影響を感じるようになっていき、実際に経済的な打撃を受ける人も出るようになりました。

たった1年前はそんな様子もなかったのに、状況はガラリと変わりました。

パラダイム・シフトが起きた、とも言えます。

急に環境が変わってしまうと、やはり苦労します。

長年築いた能力、職場、顧客といった財産が失われ、まったく違う仕事、職場で再スタートを切ることになるとなると、人間はすぐに対応できない場合があります(人間は機械やコンピュータではありません)

生きている間にこうした危機が訪れるとは、誰も思っていなかったはずです。

環境は変わるものだと考えておくことの大事さと、それにも耐えるだけの準備をしておくことの大事さを感じさせる出来事として記憶される2020年となりそうです。

未来を知るために

こうした突発的な出来事は、いつも起こるわけではありません。

何年も前から予測できていたのなら、ここまで苦しむ前に十分な対策を打つことができたか?と言われると…

起きていないことに時間と労力を割けるほどの余裕を持つ人はほぼいません。

こうしたイレギュラーな変化とどう付き合っていくかですが、一見すると無駄に思うようなことを残しておくことが大事かと思います。

日本の社会人の平均学習時間は1日あたりたったの6分です。

それくらい忙しい思いをしている人が多く、仕事から帰ってきて他に何もする時間もないくらいに体を酷使している、という人が多いのでしょう。

ですが、ただ働くだけの時間が大事、なのでしょうか?

変化が激しい時代なのに、なんの情報を集める時間もないまま、ただ働き続けていくことが何を意味するか…

仕事に習熟することは大事ですが、これで新しい発想のもの、新しい考え方を生み出すことは難しいのではないか、と思います。

読書する、勉強する、そんな時間を確保することは、いずれ仕事にもプラスになるものであって無駄なことではありません。

しかも、社会に出たあとでも学び続けないと、自分の価値は高まっていきません。

いつも余裕なくピンと引っ張られたゴムには変化に対応するだけの余裕や遊びがなく、いつか途切れてしまうものです。

まだ経験したことがない未来に対応するためには、まずは余裕が必要です。

ただし将来のことは誰にもわからない

残念ながら、未来を見つめても、未来のことが確実にわかるわけではありません。

これを100パーセント知っている人は誰もいません。

だからといって、知らなくてもいいもの、というわけでもありません。

余計なことは考えない、という考え方もあると思いますが、未来を考えることは余計なことではなく、まだ来ないけど確実にやってくるものならば、それに備えることは大事なことなはずです。

わからないなりに予想を立てて準備しておくことが大事です。

予想は何回も外れます。

ですが、情報を集めて予想する、という行動を続けていく中で、少しずつですが予想の精度が向上していきます。

そうなっていくと、だんだん的の中心に考え方が近づいていき、大失敗を中失敗くらいに抑えることができるようになります。

以下は個人的な空想です(未来において起きることは何か?)

(これは忘れてもらっていいのですが…)

今後の世界で生き残っていく仕事は何かを考えてみます。

今後、AIが人間から仕事を奪っていき、多くの仕事が失われるという予測がされています。

それに伴って起きることは、現在の社会制度が変わり、人間がする仕事も変化する、ということです。

しかもここにきて、自動車も自動運転技術が発展してきています。

機械にできないことを人間が行い、機械でできることは機械に任せる分業化が進んでいくことになります。

人間に残された仕事は、低賃金・劣悪な環境での重労働か、高度な創造性を必要とする仕事のどちらかに二極化していく可能性があります。

誰もやりたがらない重労働は移民や外国人労働者、あるいは低賃金労働を厭わない人が行う状況は現状と変わらない構造だとしても、創造的な仕事をする人たちとの賃金格差は開く一方になり、結果として社会はさらに二極化していくかもしれません。

その結果、経済的な問題で結婚できない若者がさらに増えて、社会は階層化・固定化が進んでいくことになるでしょう。

高齢化が進むと介護が必要となります。

(語弊がありますが)高齢世代の世話のために若者の人生が犠牲になる、ということもさらに起きるかと思います。

もし所得の再分配機能がうまく働かないままこの状況が続くと、若者の中には非常に辛い人生を送らざるをえない人たちが確実に増えます。

(それを自己責任という言葉で片付けるのはあまりに酷です)

誰かに尽くし続けて、気がついたときには自分に同じようにしてくれる人がいない(そもそも人口が少ない)、そんなことになりかねません。

ベーシックインカムという話題もよく耳にするようになりましたが、全国民に1万円支給するだけでも毎月1兆円は必要です。

日本の税収が60兆円程度しかないことを考えると…ベーシックインカムだけで生きていけるだろうか?と思います…

こうなると、やはり各自で最低限の生活を確保できるだけの何かを生み出さないと、かなり難しい…

お金がかからない生き方をするために、もしかするとAIが入ってこない農業など第一次産業に従事する人が増えるかもしれません。

AI化が進むことで時代が数十年前に戻る人たちと、時代の先端を開拓する人に分断される可能性があります。

AIの進展が、皮肉にも現在の社会が目指した工業化社会を逆戻りさせて、人間を元あったように土地を耕して自然と共に生きる(最先端の情報機器を使いこなしつつ)形に変えるのかもしれません。

良し悪しはわかりませんが…AI化は時間の針を戻すのかもしれません。

利益率が低くて儲からない仕事をする人が増えて、その一方で桁違いの収入を得るような大金持ちが生まれるとなると、AIは人間を自由にするというよりも不自由にしてしまうのではないでしょうか?

いかに生きるべきか?

手っ取り早く金銭的豊かさを得て、いまあるような消費社会での同じライフスタイルでの生き方をしようと思うなら、一刻も早く低収入層から抜け出すしかありません。

高収入を得る側に移動する、ということになります。

ただ、この考え方の前提は、みんなが高収入を得る側に移動していない状態です。

そのため、早く始めた人ほど有利ですが、遅く始めた人にとっては先行者に市場シェアを奪われている状態なので、厳しい戦いを強いられることもありそうです。

果たして、人間すべてが現在のようなライフスタイルを続けていけるのでしょうか?

わずかな支配者と大多数の支配される貧しい人たち、という構造が生まれるのでしょうか?

AI化はバラ色の未来を約束するものでは決してない、と私は思います。

幸せ=満足感

劇的な解決策はない、とするなら、あとは幸せを感じながら生きるくらいしか人間にはできません。

幸せとは満足感であり、生きているだけで幸せ、獣に殺されるような過酷さがない環境で生きられるだけで幸せ、と解釈しながら生きるようになるかもしれません。

もしここで「幸せ」と誰かから思わされているのだとすると、かなり問題です。

問題をうまく隠した上で、その人の善意から自発的に行動させようとコントロールする人がピラミッドの頂上にいて、コントロールされている人はそのおかしさを感じることもなく働かされ続けるとなると…

何が本当のこと、真実なのかをきちんと自分で考え、把握していく必要があります。

そうしないと、人から操られるだけの人形として人生を奪われてしまいます。

AIが進むと、優雅に創造的な仕事を行うわずかな人と、人間的と言いにくい過酷な生活を送る貧しい多くの人を生んでしまい、(言葉は悪いですが)酷い扱いを受けながら人生を奪われ続ける人が多くなる可能性もあります(しかもそれは、AIだけでもたらされるのではなく、AIの導入が進んだ状況に便乗した人間によってもたらされるかもしれません)

ディストピアなのに、それがディストピアだということにも気がつかない状態が訪れるなら、AIは人間を不幸にした、と言われるようになるでしょう…

まとめ

未来のことはわかりません。

ただ、わからないなりに、手遅れにならないよう備えなければいけない、と感じます。

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