集団ができるとマイノリティが生まれることは避けられない
自分と他人が100パーセント同じではない以上、主義主張が互いに違うのは当たり前のことになります。
ただ、似たような考え方をしている人同士だと、話が通じやすくなるので、自然とそういう人たち同士が仲良くなっていきます。
そうして多数派が形成される一方で、考え方が少数の人たちは、少数派になっていきます。
多民族国家の場合、人口比で少数派の民族の意見は少数派になることが多く、少数派の人たちが経済的に恵まれているのにそれ以外の多数派の人たちが貧しいような状況があると、互いに憎しみ合うようになったりして、深刻な問題が起こることもあります(これは過去の歴史が証明しています)
これを見ても明らかのように、集団ができると、必ずマイノリティが生まれてしまうもので、それは避けられない事態です。
建前〈相互理解が大事〉本音〈あの人は相手にしたくない〉
なお、民主主義のルールは多数決によって意見を決定するが、少数派の意見も尊重しなければいけない、となっています。
ですが、それが完全に機能するという保証はない、というのが実際の世の中でもあります。
これは理念であり、理想であり、建前として〈相互理解が大事〉とわかっていても、本音では〈あの人は相手にしたくない〉と思ってしまうこともあるのが実際の姿だと思われます。
本音と建前の間に差ができてしまうのは、やはり現実がそれくらい思うようにいかないものであること示していて、だからこそ理想に思う状態であって欲しいと感じるからかもしれません。
確かに、相互理解が大事です。
さもないと、相手を叩きのめそうとするだけの関係になり、結果的に腕力や権力を持っている人たちの意見しか通らないことになり、組織は硬直化していくことになります。
不満があるなら直接相手に伝えるべき
もし目の前の同僚と意見が合わない場合で、不満がある場合、その不満は直接相手に伝えないと意味がありません。
日本人の場合、特に「言わなくても分かる」「空気で分かる」というような考え方を大事にしがちですが、これに頼ることほど危険なことはありません。
「空気で分かる」とは、一歩間違えると独裁と同じです。
また、回くどい伝え方ばかりに頼ると、それはいつしか陰湿な方法に変わっていきます。
嫌味を言う、ということと同じです。
それは業務上の正式な伝達とは言えず、言われた側としては嫌な感情だけが残り、それが相手との距離をさらに遠ざける結果となります。
不満があるなら解決策を考えて伝えるべき
もし不満がある場合、それを解決するための方法や提案をしないと、意味がありません。
ただきちんと相手に正式に面と向かって不満を伝えるだけでも、嫌味を言うことで伝えようとするよりは正しいやり方ですが、そこに改善策があった方がより具体的に問題解決への道筋が見つかるはずです。
それがないままだと、問題が起きている原因が解消されないので、再び問題が起こる可能性があります。
大人の世界は子どもじみているという現実
学校を卒業して、社会に出ると誰しもが感じることだと思いますが、大人の世界は実に子どもじみています。
「そんなこと学校で先生から止めろと注意されてたようなことじゃないか」というようなことを、大人が他人に対して平気で行うことがよくあります。
現実の世の中は学校のような世界ではない、ということでもありますが、だからと言って小学生じゃあるまいし、と思うような幼稚な振る舞いをする大人が実際にいることもまた事実です。
平気で仲間外れにしたり、嫌がらせをしたり、あるいは姿形の特徴を嘲笑ったり、時にはプライベートのことまでを批判する場合もあります。
これは「お前の母ちゃん出べそ」と子どもが言っているのと同じレベルです。
人間はそんなに立派な生き物とは言えないのかもしれません…
(次回に続く)