手塚治虫の描いた『ファウスト』オリジナルストーリー
『ネオ・ファウスト』は、手塚治虫が1987年から連載し、1989年の著者の病死によって未完のままとなったマンガです。
底本は有名な古典小説『ファウスト』です。
登場人物は『ファウスト』を継承していますが、舞台は日本になっていたり、登場人物の設定も微妙に変更されています。
ゲーテ『ファウスト』
手塚治虫が描いた『ネオ・ファウスト』の原作は、手塚治虫が本作を描く180年ほど前にゲーテが執筆した『ファウスト』です。
主人公のファウストが人生に迷い、悪魔の力を借りて様々なことをしていく過程を通して人間とは何か、生きるとは何かを描いた小説です。
ファウストを最後に救ったのは、結局は悪魔の魔力によって得た力(社会的影響力も含む)ではなく、自分のせいで死なせてしまったファウストがかつて愛した女性の愛だった、という結末を迎えます。
『ネオ・ファウスト』ではどう描かれているか
手塚治虫が描いた『ネオ・ファウスト』では、主人公(一ノ関)を誘う悪魔・メフィストフェレスは主人公に恋心さえ抱いているように描かれています。
そして、一ノ関は原作同様に困難を抱えつつ、悪魔が用意した力を利用して富と権力を手に入れ、世の中を自分の望み通り変えていこうとします。
ですが、結局、主人公を救うものはなんだろう?
それがテーマとなります。
(残念ながら物語は完結しておらず、結末はわかりません)
手塚治虫は人生で3度『ファウスト』を描いている
『ファウスト』を題材に、手塚治虫は3度作品を描いています。
最初は20歳の頃に描いた『ファウスト』次は42歳の頃に描いた『百物語』そして、自身がガンを患っている間に描かれ未完のままとなった『ネオ・ファウスト』です。
『百物語』では自分の責任ではない問題を背負わされて切腹を迫られている下級武士が、やはり悪魔の力を借りて人生をやり直す話になっていますが、物語の基本部分は踏襲しながらもオリジナルストーリーとしても描かれています。
手塚治虫にとって、『ファウスト』が重大なテーマとなっていたことが伺えます。
人生の教訓
原作の『ファウスト』においても、手塚治虫の描いた一連の「ファウスト」においても、人生の絶望の中にある人物が、生きていく上で起こる迷いの中で力を得て、それを元に自分の人生を有用なものにしていこうとします。
その結果、巻き起こることはむしろ悲劇とも言えます(愛した女性は精神を病んで、最後は死んでしまったり、良かれと思って行ったことが必ずしも良い結果を招かないことが続いていく)
いくら権力を得たとしても、主人公は報われません。
そして、最後にそんな主人公を救うのは、かつて愛した女性の愛だったりします(権力や悪魔の力ではなく)
これは示唆的なものを含んでいるかもしれません。
人間は100パーセント死ぬ運命にあります。
限られた一生の中で、その人生を生きるとはどういうことなのか?
かりに力を手に入れて、それを行使したところで、結局はそれより大きな存在の前では無力であり、ただ人間というのは自分で作り出した迷いの中でもがき苦しんでいるだけなのではないか?
そんな人生への達観も感じられます(といって、虚無感に襲われているわけでは無いし、努力は無用だと言っているのでは無い)
生きている以上、何かを成し遂げたい、という欲望は誰にでもあります。
何もしないままであるならば、人間としての向上も無いままです。
けれど、やったところで何かが本当に実現するかというと、必ずしもそうとは言えない…
そんな苦悩と、人間にとっての幸せとは何かについて、考えさせられる作品です。