こころ|夏目漱石|本の思い出

2020-07-08

『こころ』という作品ついて

『こころ』は、夏目漱石を代表する作品です。

なお、夏目漱石はこの作品を書いてからおよそ2年後に亡くなっています。

漱石の執筆活動期間は10年ほどしかなく、後期の作品と言えます。

あらすじは、物語を先導する主人公で学生の「私」が、海水浴場で先生と出会い、親しくなるところから始まります。

なお、先生はすでに亡くなっており、小説は私による先生の思い出を回想している体裁をとります。

先生は妻帯者ですが、職業にはついていないことになっています。

私は先生の家に出入りするようになり、先生と仲良くなります。

そんなある日、私が私の父親の病気のために田舎に帰省しているところ、先生から分厚い封筒が届きます。

それが先生からの遺書であることを悟った私は、父親の病気も顧みずに汽車に飛び乗ります。

そして、先生の残した遺書の中身が明らかになる、という話です。

先生の抱えた闇

先生には、学生時代に仲良くしていたKという友人がいました。

Kは医学生で、訳あって生活に困窮し、先生の下宿に転がり込みます。

その下宿には女主人とその娘がいたのですが、先生は娘に恋心を抱いていたところ、Kも娘に恋をしていることがわかります。

そして、Kの気持ちを知りながら、先生は女主人に掛け合って娘と結婚する許可をもらってしまいます。

下宿の女主人から先生と娘が結婚することを知らされたKは、自死してしまうことになるのですが、先生はそのことをずっと悔やみ続けており、先生自身もまた罪の意識から自ら私を選ぶ、ということになります。

なお、『こころ』は三部に分かれているのですが、最後の部は丸ごと先生の遺書になっています。

漱石はなぜイギリスへ留学させられることになったのか?

夏目漱石は。国費留学生としてイギリスへ留学を命じられていました。

まだ英語教師をしていた頃のことで、小説を書くまえのことになります。

漱石は、イギリスのロンドンで文学の研究をするのですが、神経衰弱を患います。

これは、いくら研究しても欧米流の文学が受け入れられなかったからだ、と言われています。

結局、漱石は病気のため、留学期間を満了することなく途中で日本に呼び戻されることになります。

その後、東京帝国大学で英語を教えることになり、その後、大学を辞めて朝日新聞の誌面に小説を書く職業作家となります。

精神まで近代化(西洋化)せよ

当時の日本は、あらゆるものを西洋化することに迫られていました。

それは、科学技術だけに止まらず、文学や思想的なことにまで及びました。

漱石はそのためにイギリスに留学することになります。

当時の日本はそれほどまでに近代化に熱心だった訳です。

日本の国としての目的は、他国から侵略されない帝国主義国家になることでした(帝国主義国家になるか、植民地になるかのどちらかの選択肢しか当時はなかった)

そのため、西洋の文化圏の文化を研究してこい、とイギリスに送り出された訳です。

西洋小説は恋愛、自我の表現が中心だった

なお、漱石は中国の古典である漢籍の教養がありました。

その中国でいう文学というのは、天下国家を論じるもの、でした。

ですが、西洋でいう小説は違っていました。

西洋では、恋愛や自我について書かれているのが小説だったのです。

漱石は、そのことに苦しみました。

英語も操ることができ、漢籍もわかるが、英文学はよくわからない、ということに悩みます。

実際にノイローゼにかかったのかは別として、漱石は必死になって英文学を理解しようと勉強に明け暮れていたようですが、結局、理解(少なくとも、漱石なりに満足いくレベルでの解決)には至らなかったのかもしれません。

『こころ』において、先生が生きることについての倫理的な問題に悩み、自ら命を断つという話であり、これは個人の内面を扱うことに成功しているように思えますが、これは見方によっては皮肉な結果、と言えるのでしょうか?

先生に見る明治人の自我

なお、先生は遺書の中で、明治の精神に殉じる、という旨のことを書き残しています。

この背景には、日露戦争の時に軍旗を敵に奪われたことを悔いていた乃木大将が明治天皇の崩御の時に、妻と共に自死した事件が大きく影響している、と言われています。

明治の精神とはなんだったのでしょう?

この事件は当時の人々に大きな影響を与えた事件だったそうですが…一体何がそうさせたのか?

先生の死もまた、この乃木大将の死と通じるものがあるのだとすると?

当時の人は、何かとても大きなものを背負って生きていたのかもしれません…

一人一人が国家を動かしていたという意識なのか、倫理観なのか、何らかの罪の意識なのか?

明治の精神とは何なのかは、私にはよくわからないままです…

漱石のその後

漱石はこの小説を書いた2年ほどのちに、胃潰瘍で亡くなります。

当時の人の寿命は短いもので、漱石も亡くなった時にはまだ49歳です。

漱石自身は当時とすればエリートだったのですが、職を辞して新聞社で小説を書いており、エリート街道からドロップアウトしてしまった人だ、とも言えます。

漱石自身、精神的に悩むことが多く、側から見て幸せな人生だったかどうかは評価が分かれるところかと思いますが…

そんな中で晩年に書かれた作品が『こころ』でした。

苦悩にまみれた人生を送った漱石が書いた『こころ』だからこそ、価値があるのかもしれません。

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