【本の感想】日本はなぜアジアの国々から愛されるのか|池間哲郎 著

2020-08-11

本の内容

『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか』は、東南アジア諸国で学校の建設などの支援活動をしている著者の池間哲郎氏がFacebook上で投稿していた記事をまとめ上げた本です。

著者はカンボジア、スリランカ、ミャンマー、ラオス、ネパールなどにおいて、学校や診療所の建設を行うなど、ボランティア活動に取り組んでいます。

本書は、著者が触れ合ってきた東南アジアの現地の人々の日本に対する評価を知ることができる本、と言えます。

著者は映像関係の会社の経営者

なお、著者は返還前の沖縄生まれです。

経歴を見ると、サラリーマンを経て映像関係の会社を設立、30代半ばの頃、出張のため訪れた台湾で山岳民族の貧困から来る問題を知り、それがきっかけでアジア各国の貧困地域の撮影・調査・支援活動を開始したそうです(本の経歴で公表されている数字では、いままでに講演や写真展を全国で3500回以上開催している)

現地の声が1番わかりやすい評価

やはり、現地の人々の生の声が1番わかりやすい日本への評価なのだ、と思います。

この本では、東南アジア諸国において日本に対する評価が高いことがわかります。

日本国内にいて、マスコミの報道などを幼い頃から見聞きしていれば、やはり自然とこの国が外国から恨まれ続けている、と思ってしまいがちですが、実際にはそればかりではありません。

もちろん、人間関係と同じで、すべての人から好かれるということが不可能なように、国家間においてもこじれた関係のままの国もありますが、そうした国はわずかであり、日本はむしろ愛されている、と言えるかと思います。

個人的体験

私は東南アジアには出かけたことはありませんが、韓国を旅行したことはあります。

そのときの印象では、現地マスコミの報道は確かに偏っている、と思いました。

ホテルの英字新聞を読んでみると、日本に対する記事はとても厳しいものばかりでした。

(たまたま発熱し、旅行の同行者とちょっと行き違いもあって入室ができなかったので、ホテルのロビーで英字新聞を読みながら待っていたのですが、日本人の私がそういうものを読んでいるため、気のせいかちょっと周囲と気まずい雰囲気になっていたように感じました…)

ですが、旅行中は何か現地の人々から悪意を持った行為をされたことはなく、きちんと礼を持って接すれば丁寧に接客してくれる人ばかりでした(中には日本が好きだ、と公言する元軍人のタクシードライバーもいました)

日本国内にいると、歴史などの問題でもめている印象が先行しますが、現地の人たちを見ていると日本人を嫌っているという感じはありませんでした(なお、これは人にもよるかもしれません)

自国民が国のことを誤解し続けると…?

本当に良いか悪いかは、きっとわからないのかもしれません。

ですが、欧米の植民地政策と比較すれば、当時の日本の政策は違っていて、富を収奪する、というよりは社会基盤を整えたり教育を行うなどの投資を行い、まるで畑を耕し育てようとするかのような違いがありました。

それがその後の国の発展の基盤となった地域も多くあります。

正直な話、自分たちの祖父の世代が何をしようとしたのか、その現実を私たちはきちんと直視しているかと言うと、必ずしもそうではないと思います。

むしろ、戦後教育により曲解されていることもあるでしょう。

私は公立高校に通った人間ですが、その学校では平和学習という名目で生徒を体育館に集め、教育用の戦争映画を観させていました。

いくつかの勢力の立場に基づいて事実を分析し作られたドキュメンタリー映画を数本観させるのなら話はわかるのですが、上映していたのはかなり内容が偏った反日映画でした。

それを観させることが教育、と思うのなら、これは一体誰のための教育なのだろう?と思う部分が当時の私にはありました。

過去の世代を一方的に批判するというスタンスは、つまり国や自分自身そのものの否定のようにも思えます。

タコが自分で自分の足を食べているようなものにも思えますが、それをおかしいと言える空気でもなかったのが、その当時の学校でした。

その後進学した大学の同級生にも「日本が嫌いだ」と明言する人までいて、私はとてもびっくりした記憶があります。

事実を見つめることが大事

親に対する反抗、と言うのは思春期には起こりがちですが、戦後に日本国内で起きたことはそれに似たようなことにも思えます。

結局のところ、それで得たものもあったかもしれませんが、失ったものも多くあります。

結果、利己主義が横行し、世代が世代を食うような社会問題が発生する要因になったような気もします。

幅広く事実を集め、それを見つめることによってしか、本当に何が起きていたのかはわからないでしょう。

それを知るためには、イメージや思い込みだけで物事を判断してはいけません。

客観的に資料を見つめ、自ら考えなければいけません。

現状では、その判断のための材料は偏ったままであり、考えるという行為も足りません(つまり、起きた事実がわからないまま)

過ちては改むるにはばかることなかれ

過ちては改むるにはばかることなかれ、と言います。

間違っていることがあったら、それを改めることを躊躇してはいけないのです。

もしかすると、東南アジアを見つめることが、過去の日本を見つめることでもあるとするなら、これは一つのルネサンスだと言えます。

自らは何者なのかを考える上で、事実に目をつむるままでは自らを理解することはできませんし、他者との関係もおかしなままとなるでしょう。

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