他者を受け入れる過程|判定基準

2020-09-17

自分か、自分以外(他人)か

究極的に言ってしまうと、世の中には自分と、自分以外の人間しかいません。親であっても自分以外の他人ですし、配偶者も他人、自分の子どもも他人です。

家族ですらそうであるように、出会う人はすべてが他人、ということになります。

ただし、自分1人では生きていくことに不都合が多いので、やはり他人と付き合っていかざるをえない、というのが現実です。

では、人間は、自分と他人をどうやって選別しているのでしょう?

ヒトの免疫機構

高度に進化した生物には、免疫機能が備わっています。

ヒトの免疫機構においては、自分とそれ以外の異物は別れていないと大きな問題が生じます。

というのも、自分の細胞を敵と間違って攻撃してしまうと、自分が死んでしまうことになるからです。

免疫機構がいかにして自分とそれ以外の異物を区別しているのか、それを知ることは、何かのヒントになるはずです。

実際の免疫機構では、異物への防御は3段階に別れています。

  • 第1段階 物理的・化学的防御(異物が体内に入るのを防ぐ仕組み)
  • 第2段階 自然免疫(体内の細胞が異物を取り込み分解する仕組み)
  • 第3段階 適応免疫(細胞そのものを破壊する仕組み)

第1段階では皮膚、唾液、血液凝固、涙、鼻水などによって異物が体内に入らないように防ぐ仕組みで、第2段階・第3段階は体内に入ってしまった異物を排除する仕組みです。

いくつもの予防線を張りながら、ヒトの体は外部からの異物の進入に備えている、ということになります。

免疫気候は、そもそも異物を受け入れない、という仕組みです。

自分以外のものを受け入れる過程

では、人間が他人との関係で自分以外のものを受け入れる過程は、どうなっているのでしょう?

結論から言うと、これは自分にとってメリットがあるかどうか、ということに尽きるかと思います。

攻撃されたり傷つけられたりするのはデメリットですから、そもそもそういうことをする相手とは関係を持とうとはしません。

逆に、相手が自分によくしてくれたり、その人との関係を持つことが自分にとってもいいことならば、メリットがある状態なので、関係を持とうとします。

自分にはメリットがないような状況にあっても、最終的にそれをすることで自分になんらかのメリットがあるならば、その場合も関係を絶ってしまうようなことはしないはずです(お互いに相手を裏切ると莫大な被害が生じたりするような関係では敵対しながらも相手を生かしておこうとする、あるいは「昔世話になった人の子ども」に恩を返すと言う説明がつきにくい行動〈おそらく、受けた恩に対する負債似た感情が背後にある〉も存在する)

恐怖から受容へ いくつかの段階

キューブラー・ロス「悲しみの5段階」

ドイツの精神科医キューブラー・ロスによれば、人間が大きな悲しみ(末期がん患者と家族が死を宣告された時)をどうやって受け入れていくかについて、5つの段階があるとされています。

  1. 否認  死の否定
  2. 怒り  自分や他人、運命に対しての怒り
  3. 取引  死を免れるためなら何でもする、という状態
  4. 抑うつ 免れない死を前にして希望を失った状態
  5. 受容  死を受け入れた状態

これは免れることができない死に対しての人間の反応のプロセスです。

他人を受け入れるプロセス

他人と知り合い、受け入れていくプロセスの場合だと、

  1. 表面的な関係
  2. 親密な関係
  3. 秘密を共有した関係

という順をベースにして進んでいきます。

なお、1の入り口として、自分と似ている他人を選んで関係を持とうとする傾向があり、2になるとお互いの価値観が似ていることが重要になり、3になるとお互いに生きていく中で社会的に補完しあえる関係であるかどうかが重要になります。

ということは…

人はまず見た目や仕草に大きな影響を受ける、という事になります。

また、価値観を知るための機会を設けることも大事であり、単純に接触回数が多いだけでなく、ときにはレクリエーションや食事(場合によっては酒を飲むことも含む)を共にすることも大事となります。

そして、最終的には、お互いの秘密を打ち明ける段階に至り、相手を理解した上で、社会的な協力関係を築けるかどうか、という段階へと進んでいくことになります。

(「会社を退職したら本当の意味での友人がいなかった」という状態は、仕事のために便宜上2までの段階しか進んでいなかったと言うことであり、3の段階の関係性にまで完全に踏み込めていなかった、ということになるのかもしれません)

考察

これらを見ると、

受け入れる、という段階は、これからの人生に前向きな要素を含む場合は相手が自分にとって良い影響を与えるかどうかにかかっており、人生においてデメリットとなるような要素(死)の場合は、自分の感情がかき乱された末にようやくその事実を受け入れる段階が訪れています。

自分にとってのメリットを受け入れるときはおそらくそれほど苦労はないですが、デメリットを受け入れるときは、かなりの葛藤を抱えることになります。

心が受け入れなければ、自分以外のものを受け入れることはない、ということであり、必要なのは、自分にも相手にも起きるメリットを増やし、葛藤を軽減していくようなアプローチを取ることにあります。

受け入れる基準とは一体なんなのか?

免疫機構も、対人関係においても、結局は対象物を異物とみなすか、自分とみなすかの違いです。

敵と思ったものに対しては、やはり受け入れるまでに時間がかかります。

他人との関係は、自分との関係でもあります(相手に取っている行動は、鏡に映る自分でもある)

ということなので、自らを高めていく、ということ無くして良い出会いもなければ、良い関係もありません。

まずは、心を整え、身なりを整えるところからはじめて、行動を改めていくことが大事です。

そんな中で、いままでの自分を知っていた他人から非難されることもあるかもしれませんが、人間は絶えず変化していくものであり、死までの旅の途中で出会う人、目指すものに歩んでいく中で一緒に向かっていこうとする人に出会うことが大事なことです。

まとめ

人間は、過去に留まり続けてもいいことはありません。

人生の旅の最中で出会った人こそが、自分に合った他人です。

何でもすべて、というわけではありませんが、自分も、出会った他人も、受け入れられるだけの心の幅の広さを持つことができれば、人生はとても豊かで実り多いものとなることでしょう。

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