恣意的に作られた基準の例
基準は科学的に決まった、というものばかりではないようです。
マラソンは42.195キロ、と定められています。
この距離は基準が策定される前のマラソン大会のだいたいの距離が40キロ程度だった事実がまず存在し、それを元に第4回オリンピックイギリス大会では42キロにしようと思っていたところ、当時のイギリス女王アレキサンドラのリクエストで42.195キロになり、それがのちの大会で正式な距離として採用されたことで現在も42.195キロになっている、という経緯があります(スタート地点とゴール地点を女王の目の前の地点にして欲しい、という理由だったそうです)
決まりや基準は、このように何となくで決まったり、特に重要とは言えない理由が原因で決まったものがそのまま基準になっている場合もあります。
地球の公転周期が違えば1年は365日ではなかったはず
(もう少しお付き合いください)
地球が太陽の周りを1周する(公転する)には、およそ365日かかります。
もしこれが500日だったとしたら、1年は500日だったことになるはずです。
当たり前とされていることも、実際にはこれくらいのものでしかない、のかもしれません(地球の公転周期は人間が思うように変えることが絶対にできないものですが…)
「こういうものだ」を識別する
結局のところ、基準は受け入れられて広まることがなければ、基準になり得ません。
その基準は、それぞれの人の間で「こういうもの」「これくらいのもの」として想像できる範囲のものである方が、普及しやすいはずです。
さらに、国家が法律でその基準を守るよう強制したり、法律化したりすれば、基準化が一気に進みます。
基準はそうして決まっていき、それがあることでその基準が示すものが「こういうものだ」ということが共有できることによって、人々に価値をもたらすことにもなります。
良し悪しの基準を決めるもの
数値で示すことができればなんでも基準になるか?というと、そうではないようにも思います。
例えば、「良し悪し」については、数値化することができないかと思います。
- 何かを0.001以上したら悪
- 0.37までは良いけれども、それを少しでも超えたら悪
もしこんな基準があったとして、その0.001は誰が決めて、誰がそれを測定して取り締まって悪いことにするのか?
こんな変な話にもなりかねない、ということになります。
数字に科学的根拠があったとしても、その基準が妥当かどうかは策定した当事者にしかほぼ分からず、それを守るよう求められる側の人のほとんどは根拠を知りません(おそらく取り締まる側も知らない)
何が良いか、何が悪いかは、数字にならない場合もあり、判断も別れるものです。
合意できる基準ならばいいですが、合意できにくい基準はそもそも意見を統一することすら難しく、基準にすることも難しいものになります。
多数と少数の問題
そういうとき、最後は多数決に頼っているのがこの世の中です。
社会を構成する集団の多くの人が賛成したものが正しい、とされるシステムが採用されている国が多いかと思います(例外や異論は今回、考えないものとします)
この決定をする際は、多数派は少数派の意見も尊重し配慮する、というルールがあるはずですが、少数派の意見は必ずしも反映されているか?というと、そうとは言い切れないのが現実です。
多くの人の利益を実現することによって幸福な状態を作ったり維持しよう、とすることは確かに理にかなっていると思いますが、少数派が大勢集まった場所に行けばそこでは少数派が多数派です。
基準はフレキシブルであると困る場合、基準があることで何らかの不具合が起きてしまう、という可能性があります。
真実はかならずしも現在多数派の意見とは限らない
さらに言えば、世の中に普及している考え方は、必ずしも真実とは言えないこともたまにあります。
あとの時代になって、その間違いに気がつく場合があり、そうなる前に普及している考え方と違う考え方がある、ということを言った人は、大抵「おかしい人」として扱われたり、バッシングされたりすることもあります。
真実と、その時代を生きる人の真実は違っている、ということになるのでしょうか?
これもまた認識の問題だとすると、単位はあることでうまくいく部分もあるけれど、人間の認識や意見に大きく左右されたり混乱を招くこともあるということであり、その時点でのとりあえずの共通して使われている基準、という程度のものなのかもしれません。
まとめ(曖昧なものを確実にしていくこと)
中世と近代の違いは、曖昧なものを確かめて確実なものにしていくことにあるのかもしれません。
思い込みを捨て、客観性を保ち、事実に基づいて曖昧なものを確実なものにしていく
この流れの中で基準が作られ、単位や尺度がある、ということです。
それをどう受け入れ解釈するかもまた、そうした決まりを作り出した人間に委ねられている、ということになりそうです。
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