お金は交換手段の証
お金は、価値が形を変えた物です。
そして、それを多く持っている、ということは、それだけ何かと交換する(買う)ことができる、ということを意味します。
(これは、とても当たり前の話ですね)
お金は使わなければ持っていないのと同じ
さらに、お金はそれだけを持っていても、役に立ちません。
具体的に何かを買う(あるいは形のないサービスを買う)ということをしないと意味がありません。
無人島に独りでいたとして、そこにお金を持ち込んでも、何かと交換することができないのならば、なんの役にも立ちません。
また、元気に生きている間にお金をたくさん得られてとしても、それを使う前に死んでしまったりすると、その人はもう生きていないのでお金を使うことができません。
使う、ということを通してでしか、お金は現実に対して何らかの作用を及ぼすことはできません。
また、それを使うにあたっては、必ず自分以外の他者の存在が必要になります。
年収と幸福度の関係
以前、私はこういう記事を書いています。
お金というのはただ持っていればそれに比例して幸せ、というわけではないようです。
確かに、もしお金を持っていないと幸せでない、とするならば、大金持ちしか幸せではない、ということになってしまいます(現実はそうではありません)
ここで、ちょっと考えてみます
お金は物が形を変えた物
さて、ここで少し考察してみようかと思います。
お金とは、そもそも価値が減りやすいものをお金という形で保存するために生まれた可能性が高い、と思われます。
もしこれが正しいとするならば、お金とは価値を保存しておくための中間物質のようなもの、と言うことができるかと思います。
物はその利便性によって誰かに役立つ物でなければ売れることはない
では、お金になる前の段階は、どうしたらお金になるか?
仮に商品で考えるならば、商品は買う人にとって役に立つもの出ないと売れません。
健康に良い、美味しい、使いやすい、時間を節約できる、機能が優れている、など…
そうした理由がなければ、売れることはありません。
逆に、それとは逆の意味を持つものは、売れにくい、と言えます(消費の傾向が変わってきているので、本来の機能から離れて仲間に「ウケる」かどうかで消費を決めている、ということもありますが…「不味いけどテレビで話題だから」とか)
物が売れるということは買った人から感謝されること
物が売れる、ということが意味するのは、結局のところ「買った人から感謝されること」なのだ、と言えます。
自分が抱える問題や欲求を解決してくれるからこそ、人はお金を払ってまでものを買おうとします。
ということは、それだけの理由や意味をそこに見出している、ということであり、それを使用することによってその問題が解決する(解決しなくても解決する、と思っている)からこそ、その商品は売れる、ということです。
結局は、売れる(支持を集める)ということは、お金を媒介にしているだけで、結局は相手から何らかの感謝をされることなくして成立しない、と言えます。
お金は感謝された量
と言うことで、お金とは、人から感謝された量を表す、と言うことになります。
世の中に対してそれだけの価値を提供したことの返礼、その結果がお金の量になっているだけ、と言うことです。
大金持ちは幸せなのだろうか?
とはいえ、大金を集めたからといって、人は幸せなのかは判断が分かれるところです。
中には、自分の中の空虚さを埋めるためにお金を求めたけれど、結局、満足することがなかった、という人もいるかと思います。
中には、自ら行ったことの罪滅ぼしとして、慈善活動に力を入れた、という人もいます。
それは素晴らしいことですが、おそらく、お金だけでは何らかの満足を得るどころか、むしろその人が不幸になってしまったからこそ、そうした活動を始めることによって心の中でバランスを取ろうとしている、と見ることもできるかもしれません。
まとめ(満足感のこと)
結局、お金はものが形を変えただけであり、それ自体はただの金属や紙切れ(あるいは数字)でしかありません。
それにそれ以上の意味を見出しているのが人間であり、ときにそれが様々な問題を起こしているのかもしれません。
あろうがなかろうが、生きることに満足できるのであれば、お金というのは主目的ではなく、もっと優先順位が低いもののはず、だと私は思うのですが…