価値の減少の問題|長く続く価値とはどういうものか?

2020-09-08

価値と時間

時間が経つと、その価値が減っていってしまうもの、というのがあります。

そもそも、物質は永遠にその姿形を維持しているということはありません。

それと同じように、人間が生み出した生産物もまた、いずれ形を失っていくことになります。

ですので、時間の経過とともに価値が減っていくのは、いわば宿命といってもいいのかもしれません。

時間が過ぎると価値は減少していく

大抵の物は、時間が過ぎると価値を失っていきます。

例えば、食べるものは、いくら保存がきくものだったとしても、20年も保存しておくことはできません。

魚や乳製品などの生物になると、価値が減っていくスピードが早い、と言えます。

時間が過ぎると増えていく価値もある

一方、時間が経過するにつれてその価値が増えていく、というものも存在します。

アンティークの美術品などはこういった傾向があります。

こういうものは、世の中に出回る数がとても限られており、誰でも手に入るものではない、という特徴があり、時代が経過すればするほど価値が上がっていく、という傾向があります(希少価値、ものそのものの価値)

需要と供給の問題

時間の経過とともに価値が減るのか増えるのか、それを決めているのは、ものそのものの形の崩れやすさ、ということが大きく影響します。

さらに、それを評価する市場の動向にも左右されます。

それは、需要と供給にかかってきます。

需要が少ない場合は、求められることが少なく、需要が多い場合は、それを欲しいと思う人が多い状態を意味します。

さらに、供給量が多ければ、値段が下がる傾向があります(高いお金を払ってでも手に入れる必要がなくなる)

何ごとも、市場で取引されるものについては、需要と供給の関係が大きく関係してきます。

アンティーク美術品は、一定数の需要があるのに、供給がない(新製品は出ることがないし、時間とともに壊れたりして数が減っていく)状態ですので、時間が過ぎるとその価値がどんどん上がっていく、ということになります。

価値の退蔵としての貨幣や不動産

価値が減少していくという現象にいかに対処していくか、ということが、人間にとっては1つの課題でした。

農産物しか作っていない状況だったとして、収穫した穀物は、5年も10年も保存しておくことはできません(その前に腐ったりしてしまう)

その価値を保存しておく手段として、お金があります。

価値をお金に替えておくことによって、その収穫された農産物の価値は少なくとも5年先、10年先であっても、腐ってなくなるようにゼロになるようなことはありません(ただし、お金の価値が下落している、ということは可能性としてありうる)

あるいは、その価値で何かそれとは別の、価値の減りにくいものに替える、ということも手段の1つです(土地など)

価値の減りやすいものを、より価値の減りにくいものへと替える、という必要があったために、お金というものが生まれたとも言えるでしょう。

人間の寿命の問題

さて、いくら価値が減る、とはいえ、人間の寿命はせいぜい80年から100年程度しかありません。

1つの個体としてはやはりその程度の年月しか生きていくことができないのが現実です。

子孫にまでその価値を伝えたい、という場合もありますが、それを考えると、どうしてもものそのものを保持し続けることによってそれを維持することは難しいのではないか?

もちろん、価値が上がり続ける場所に土地を持っている、というのなら話は別かもしれませんが、それがずっとという保証も無いし、頑丈なコンクリートの建物は耐久性がせいぜい60年程度しかないように、いつか使い物にならなくなるときが訪れることになります…

あるいは、生きている間はとても価値があったけれど、のちの時代にはありふれたものとなってしまい、その価値を失ってしまっている、という場合もあるかもしれません。

(アルミニウムは現在ではとても価格が安いものですが、それが作られるようになった初期の時代ではとても高価なもので、まるで宝石のように扱われていました)

それを考えると、変わらない、永続的な価値とはなんなのか?ということを考えること自体、人間の尺度では測りきれないものなのかもしれません…

かなり恣意的で、状況が変わればコロコロと変わっていってしまうようなものでしかない、というのが真実の姿なのかもしれません。

そのような尺度のなかで、自分にとって価値があるものとはなんなのか?

ものが有限であるように、人間の肉体も、時間もまた、有限です(人間は、80年生きても29200日しか生きられず、毎日8時間睡眠をとっているのなら、実際に活動できているのはたったの19466日ほど、実に53年ほどしかありません)

ですので、人間には自分に関係のないことをしている時間など、本当は無い、ということにもなります。

老いは、あっという間に訪れます…

石造りのピラミッド

圧倒的に長い間持ち堪えている価値としてピラミッドを挙げておきます。

それ自体はお墓ですが、何千年という時間が経過しても残っています。

なんらお金が増える、という要素は無いかもしれません(観光資源としてエジプトの人が潤う、ということは今回、考えないことにします)

目先の利益に一喜一憂する、ということを超えた価値とは、もしかしたらこういうもので、それはあまり実用的な価値というものが無いものなのかもしれません。

とすると…

私たちが日々一喜一憂していることは、長い目で見た場合、本当に大事なことなのかどうか?

それを考えてみるのも、もしかすると大事なことかもしれません。

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