今回は、物事を進める上で必要な「受け入れる」プロセスについて考えてみたいと思います。
物事はうまくいかない
大抵のことは、スラスラとうまくいくものではありません。
なぜか、というと、一つとしてまったく同じ状況のものは存在しないからです。
いわば、出会う出来事のすべて、出会う人すべてが、自分にとっては初めて出会う存在です。
もちろん、うまくいく場合もあります。
それは、いくつもの経験から対処法を導き出して、物事の出方を想定して対処できる場合ならば、という但書がつきます。
世に言うキャリアの正体は、実際にはこの物事の出方に対する想定能力、対応能力です。
厳密に言えば、肩書きがキャリアなのではなく、実際の対処能力がキャリアなのです。
うまくいかない、というのは、経験不足から来ることが多いですし、人間、あらゆることに経験を積むとしたら、逆に何も成し遂げることができないまま、人生を終えてしまうことになります。
人間には限界があり、限られた範囲の中でしか、自らうまくできるものを作ることができない、というのが本当のところです。
うまくやろうとすること
ここで、人間はどうしても「うまくやろう」「カッコよくやろう」という意識が働きます。
これは、はっきり言って、無駄です。
そうやって処理できることは素晴らしいのですし、うまくやろうとすることは向上心につながります。
だけど、うまくやろう、という心はむしろ、邪魔になることがあります。
うまくやる、という時の「うまく」というのは、仕上がりの問題です。
質を上げていくことは大事なことなのですが、うまくやろうとするあまり、時間ばかりかかったら意味がありません。
自分の人生をかけて行ったことが、例えばたった一つのことだった(しかもそれは通常、1日あればできることだった)、としたら、それは意味がありませんよね?
うまくできるかどうかは、こなした数にかかってくる問題です。
プロと素人の違いは、常にどんな状態であっても平均的に合格点を叩き出せるかどうかの違いであり、すべてにおいて100点を取ることではありません。
うまくやろうとすることは大事ですが、うまくやることをしようとしすぎると、結果的にうまくできないことになってしまうのです。
失敗することが普通
なので、完璧を求めすぎることは、悪です。
失敗することが普通なのです。
失敗する、ということは、裏を返せば、やり方が間違っていた、ということです。
それでいいのです。
正解は一つではないし、たどり着くまでの方法は、実際にはいくつもあるのが普通です。
誰かが失敗だ、と思ったことも、違う人には成功に見えることだってあります。
つまり、成功と失敗は表裏一体のものです。
しかも、いくつもある事象のうちのごくわずかのことしか成功と言われない。
ということは、そのわずかなものにたどり着けなかっただけのことでしかなく、失敗した、というのは、失敗したことに成功している、という状態でもあります。
現実を受け入れる、ということ
失敗したからけしからん、という状態は、非常に辛い状態です。
失敗が許されない状況が非常にシビアであるのと同じように、失敗を否定し続けることは、とても辛いです。
ですが、失敗することが普通です。
だったら、それを受け入れてしまった方が、気が楽になります。
受け入れる状態の方が、自然なあり方と言えます。
失敗したことは、成功したことと同じ、ただ1つの事象にすぎないからです。
それをいい悪い、という価値観だけで測るからこそ、辛いのです。
素直であれ
大事なことは、素直であることです。
逆らわず、受け入れることです。
どういうことか、というと、起きたことを、余計なバイアスを加えないで見つめる、ということです。
余計なものはいらない
余計なバイアスがあると、判断が狂います。
行動まで狂ってきます。
余計なものは、持ち込まない。
そのためには、ありのままを見ないといけません。
ありのままの姿を、曇りのない目で観察できてこそ、的確な次の一手を打つことができます。
冷静に向き合ったとき、気づきが生まれる
大事なことは、気がつくことです。
失敗は、成功と同じ一つの事象です。
失敗にも、成功にも、同じように理由が隠れています。
その理由に気がつくには、理由を見つけなければいけませんし、理由を感じ取らないといけないのです。
「人よりもうまく」「人よりも優位に」「誰よりも〇〇」「誰よりも優れて」…
こうした欲に駆られると、ロクな結果にはなりません。
現実をしっかりと見つめるために、問題を受け入れてください。
受け入れられないことがあったら、それは相入れないことの証であり、実際にはそれに対して憧れを持っているからこその反発だった、という場合だってあります。
認められないものを認めた時、物事は大きく前進しています。