持続可能性

コラム

三方よし|その背景と普遍性(共生するということ)

2020-10-11

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三方よしとは?

「三方よし」という言葉は、経営哲学として語られる有名なものです。

「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」という3つの言葉で表されます。

これはつまり、ものを売っている商人(売り手)にも、商品を買った人(買い手)にも、社会(世間)にも良い状態こそが良い商売である、ということをいいます。

これは、現在においても変わることがない、商売の基本原則だと言えるかと思います。

近江商人とはどういう人たちだったのか

三方よしは、近江商人の言葉です。

近江とは、琵琶湖周辺の地域で、滋賀県のことになります。

中世から近代にかけて活躍した、近江の国から発祥した行商人のことを近江商人と呼びました。

近江地方にいた商人の全部が行商をしていたわけではなく、近江の国以外の場所に出かけて行って商売をしていた商人を特に「近江商人」と呼んだようです。

なお、明治時代になると、時代の波に乗ることができず、徐々に衰退した、とされます。

地理的に奈良・京都・大阪に近く、愛知にも近く、伊勢(三重県)にも近い場所にあります。

また、大動脈である東海道にも近く、立地としては人やものが流通させやすかった場所だった、と言えるかと思います。

なお、物品の行商から始まった近江商人は、やがて近江の国以外の地域の経済を(権利を握る形で)掌握するようになり、やがて金融業などにも進出していったようです。

三方よしの背景

近江商人はなぜ「三方よし」を商売の基礎に置いたか、ですが、おそらくそもそもが行商人から始まったからではないか?と思います。

他の地域に出かけていって商売をする、ということになると、その地域の習慣に合わせないといけない部分が出てくるはずです。

つまり、相手に合わせる、という必要に迫られる場面が多かった、と考えられます。

しかも、出かけていってものを売らないといけないので、相手にアピールし、相手の利益になるものを持っていかなければものは売れません。

その地域で下手な行動を取れば、評判を落とすことになり、商売どころではなくなるかもしれません…

相手が来るのを待つスタイルではなく、相手のところに出かけていくスタイルだったからこそ、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」であることを自然に行うようになったのではないか?と私は思います(近江商人の当事者に聞かないと本当のことはわからないかもしれませんが…)

商売は永く続かないと意味がない

現代は封建制の時代ではありません。

職業を自由に選択することができます。

ところが、歴史的に見れば、この状態が実現したのは日本においてせいぜい150年ほど前からでしかありません(制度的にそれが可能になったのが150年ほど前であり、実際に自由になったのはもっと短い期間です)

ということは、農民は生きている間はずっと農民で、商人は生きている間はずっと商人であることが求められた、ということになります。

当時の基幹産業は農業です。

土地を耕し、作物を育て、収穫する、というサイクルを繰り返していくことが鍵になります。

特に、江戸時代の経済の基礎は農村経済であり、それを支配した武士階級の経済の原理は農村経済とは違う原理で動いていたため、進展していくスピードに差が出てきたことになります(それが江戸時代にあった経済の仕組み上の問題点だったようです。武士はお金に困るようになり、商人から借金をするようになったりしていった)

商人は、一生を商人で過ごすことが宿命づけられていたことになります。

ということは、途中で商売が立ち行かなくなるようなことになると一大事です。

一時だけものすごく売上が上がり、収入が増えても、その後まったく売れなくなって困るようになると、とても困ることになります。

商売の場合は特に、お金が回っていかないと困ることになるので、そのためにはやはり売れる・売れないの波が少なく、ずっと売れ続けてくれる方がありがたいことになります。

だとすると、自然に永く続いていくことが大事、となります。

日本においては特に「家」の概念が強く、家を続けていくことが何においても1番だった、というところがあります(夫婦ごと両養子の形で養子を迎えてでも家の名前を残そうとした)

そして、これは現代のサラリーマン社会にも言えることですが、世間から外れてしまうと生きていけない、という恐怖もあります(生きていけない、というのは思い込みだけで、実際は生きていく道が他にもあるのですが…)

こうしたこともあって、永続的に続いていくことこそが大事だった、ということになります。

日本の自然環境

日本は、自然環境にとても恵まれた土地です。

その昔、戦国時代に鉄を生産するために木を伐採して燃料にしていましたが、日本の土地は砂漠化していません。

高温多湿で植物が再生しやすい環境にあるということです。

さらに、土地の力が強い、とも言えます。

汚染物質を流しても、ある程度まで自然に分解してくれる、というところがあります(もし痩せた土地の場合だと、その物質を分解する微生物がおらず、自分が捨てたものがずっと残り続けることになる)

「水に流す」という表現があるくらいですが、水に流してもそれを自然が分解してくれる、ということが背景にあり、その結果生まれる考え方だと言えます。

また、日本に住んでいる人は、かなり同質的です。

議論をしなくてもある程度まで共通して理解できる部分がある、ということなので、知らない人と応対するときも、おそらく全く違う民族・人種・文化圏の人と接する時とは違います。

そんな環境の中で「三方よし」が生まれたということが意味することは、おそらく「みんな仲良くいることが大事」ということではないでしょうか?

他から奪うのではなく、分け与えることを通じて自分に返ってくるものを大事にする、という考え方です。

考え方を共有できない相手には、おそらくこれはなかなか通じません。

通じる相手が多い環境では「三方よし」であることが大事だと思いますが、奪うだけ奪っていく相手にこれを用いると、なかなか大変な状況が訪れるような気がします…

(これが日本人の性格に反映されて、強く主張ができないお人好しを生んでいる、ということにつながっているようにも思いますが…)

これらをみると、日本人は良い意味で自分以外の存在(豊かな自然環境)に守られていて、人間同士で対立してもゆくゆくは和解できるという期待をどこかで持つことができたことが背景にあって、さらに近江商人が行商人だったことも重なったことが「三方よし」を生んだのではないか?と思います。

(仮にこの概念が既に世界の至る所にあったものだったとしても、それを「三方よし」という形で言葉にして定義づけることができたのは、こうした要因があったからだ、と言うことができるかもしれません)

共生という普遍性

「三方よし」は、おそらく普遍的な考え方です。

なぜなら「異質なものと共生しながら生きていくことを目指す考え方」だからです。

対立が深まる時代にあっては、なおさら大事なことになります。

環境が変わり、前提が変わり、今後の世界はおそらく「奪ってはいけない」時代になるはずです。

資源は無限にあるわけではなく、なのに人口は増え続け、食べ物は足りなくなっていくかもしれない、飲める水にも限りがある、いまはまだ良くてもそれが永遠に続く保証はない…

省エネ、エコロジーがもてはやされるのも、多く消費することが与える悪影響に人々が気づいているからです。

なので、自分だけ良ければいい、ではなく、共生して生きていくことが大事です。

シェアすることがキーワードになっているのも、おそらくこれに通じるはずです。

(近江商人がそんな未来まで見通して「三方よし」と言ったかどうかはわかりません…)

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