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コラム

人は何に魅力を感じるのか?|詐欺との境界線 その6

2020-09-24

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(前もってお断りしておきますが、「いい感じ」とは何か、その本当の意味するところが私にはわからなくなった、というのが結論です…)

いい感じの正体

うまく言葉で言い表すことはできなくても「いい感じ」というものがあります。

いい感じ、feel good、心地よい、うまくいきそう、なんだか幸せそう…

とにかく、「いい感じ」というのはいい感じ、としか表せない、まさにそれ自身にいいことがありそうで、こちらも見ているだけでいい感じになれる、まさに「いい状態」です(説明しようと思ってもできないです…)

だけど「いい感じ」とは、何がどのように良いからいい感じなんでしょう?

(やっぱり、うまく言い表すことができません…)

いい悪いは何が決めるのか

とりあえず、定義しておきます。

商品を見て、それを「いい感じ」と判断する場合、何をもってその商品を見た人は「いい」と思い「悪い」と思うのか?

この場合「いい」の内容は、

  • 買ったら自分の生活が良い方向に変わっていきそう
  • 自分の悩みを解決してくれそう
  • これを持って歩いたら注目を浴びそう
  • 自分に足りなかったものを補ってくれそう
  • そもそも性能が優れている
  • 壊れず長持ちしそう
  • 値段がそれ相応か思っていたよりも安い

といった内容を含むはずです。

おそらく「悪い」の内容は、上記の「いい」の反対のことになるはずです。

自分の価値観に照らし合わせて「いい」、周囲の価値観に照らし合わせて「いい」、製品としての品質や機能が「いい」、値段が安くて「いい」…

ものそのものの価値と、それを買った後で起こる自分や周囲への変化、この両方について「いい」状態をもたらしてくれるからこそ「いい」と判断するのかもしれません。

しかも、そんなことを言葉にすることなく、瞬時に、長い時間をかけなくてもそれを心のどこかで判断して「いい」と決めていることが多いはずです。

ファッション雑誌、映画、ドラマ(理想的な世界を演出しているもの)

いいと決めるには、おそらく何が「いい」で何が「悪い」かを判断する基準があるはずです。

その基準は、自分が生きてきた人生の中で形作られる部分が大きいはずです(それ以外にも、人間としての生まれながらの判断基準もあるはずです。人間と猫ではどう考えても判断基準は違います…)

その基準の形成には、見たり聞いたりしたものが影響している、と言えるでしょう。

昔の時代に比べ、いまは情報が溢れてます。

現代に生きる一般市民は、大昔の最高権力者が手にした以上の情報を、圧倒的短期間で手に入れることができるようになりました。

その情報の中で、自ずと目に触れる写真や映像メディアによって、人々の中には基準が作られていく、と思えます。

なんだかわからないけど、かっこいい、かわいい、きれい、美しい…

否が応でもそうした情報を浴び続けるようになったからこそ、そうしたものに対する審美眼も知らないうちに鍛えられている、と考える方が普通です。

おそらく、メディアが多様化したことで、昔なら権威的な存在によって広められた価値観が、今の時代では通用しにくくなった、ということはあるかと思いますが…(国民的大流行の〇〇、というものがなかなか成立しなくなった)

封建時代の話

封建時代は階層が固定化されていて、階層間の移動はなかなか起こらず、移動しようとするとそれはよくない行動だ、とさえされました(生まれた階層がその人の人生を決定する)

この時代だと、人々の着るものや姿は、職業や階層によって固定されていました。

外見を見れば、あの人はどんな社会階層の人か、偉いとされる立場なのかそうではないのか、どんな職業か、一目瞭然でした。

住む場所もおそらくそれほど流動的ではなく、一生を生まれた村で過ごしたり、たまに移動したとしても行動範囲は現代よりもかなり狭かった、と考えられます(少なくとも、地球の反対側まで行こうと思ってもほとんど無理だった)

現代ではそれは想像しにくいことです。

ただし、いまだに外見によって人を判断できる、という要素もまた確実に残っています。

人は見た目ではない、と言いながらも、身なりがしっかりしている人は結構な確率で世の中で生きていけるだけの力を持った存在であることが多いのも、確かな事実です。

ということは、昔においても今においても、程度の差はあっても、人はその人の見た目が他人に与える影響によって、評価され方が変わってしまう、ということを意味します。

贔屓(ひいき)

贔屓(ひいき)という言葉があります。

気に入った人のところを特に応援したり、実際に金銭や物を与えて支援したりすることをいいます。

江戸時代に歌舞伎が流行したときに、役者の似顔絵が書かれた浮世絵(役者絵)が売られていたくらいで、そんな昔からひいきが存在しました。

今でいう「推しメン」と同じですね。

それ以外にも、相撲の世界ではタニマチと呼ばれる熱烈なファンがいます。

力士を応援する人たちで、実際に金銭的な支援を行ったり、力士をとりわけいろいろな面で優遇する人たちが実際に存在します。

それ以外にも、熱烈なファンはいろんなジャンルにいます。

応援すること・されることを通して、何かをお互いにやりとりし、与え合っている関係だと言えます。

ここまでの段階になるとその存在に心酔している状態で、〈ひいきにしている方〉としては、割と簡単に何でも受け入れてしまう状態かもしれません。

これは〈ひいきにされる方〉にとっては、嬉しいことです。

ただし、今度はひいきにされない行動を取れなくなる、という苦しみを有無かもしれませんが…自分の行動と周囲の期待に差がないのならば、ひいきされるようになったことは最高の相思相愛の状態です。

愛することと愛されること

いい悪いを決めるのは、何かをやりとりすることと関係している、と言えそうです。

見た目は、発する側がいて受け取る側がいる、ということならやり取りです。

封建時代の階層を示す格好は「私は〇〇である」ということの表明にもなっています。

あるいは、贔屓にされることもまた、何らかのものをお互いにやり取りしています。

ということを商品に当てはめると、魅力的な商品であるためには、何らかの価値を相手に与える必要があるのはもちろんのこと、何かをやり取りする、ということが必要なのかもしれません。

これを使って便利だった、生きることが楽になった、問題が解決された、足りないものが補えた…

それを通して、商品をもう一度買おう、としますよね?

商品そのものが持つ価値(魅力) → それを買った人が価値を感じる → もう一度買う(ひいきにする)

この過程には、おそらく便利、という言葉だけでは言い表せない感情が潜んでいるのではないか?

それこそ、言葉にできない「愛のような感情」かもしれません。

ということは…愛される商品であることができれば、かなり有利だ、と言えそうです。

幸福感

「いい感じ」は言葉にしにくいので、なんとも言いにくいですが、「いい感じ」だからこそ、もう幸せ、幸福感があります。

人は、幸福感が欲しい

それが形を変えて、お店でお金を出せば手に入れることができて…

ただし、お金で買うことができるものもあれば、買えないものもあります。

本当の幸福感は、お金で実現できない種類のものの場合もありますので、注意が必要です。

目の前にある「いい感じ」に触れることは悪いことではないですが、それに溺れると「いい感じ」を自分に実現することができなくなってしまうかもしれません…

(私には、率直なところ「いい感じ」の正体がよくわからない、これが結論です…)

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