心理

コラム

認知的不協和|欲望へのアプローチ

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認知的不協和とは何か?

認知的不協和とは、社会心理学の用語です。

人が自身の認知とは異なる、矛盾した認知を抱えた状態、またはそのときに覚える不快感を言います。

人は、認知的不協和の状態になったとき、その対策として物事の定義を変更したり、過小評価するようになったり、あるいは自分の行動を変更する傾向があります。

さらに、抱いた認知的不協和が大きければ大きいほど、それを解消しようとする圧力が大きくなる、とされます。

これはどういうことかというと、自分では正しいと思っていることがあったとして、事実がそれと異なっている場合、自己正当化のために何らかの言い訳をして自らの考え方を守ろうとする、という状態と同じです。

おそらくこの場合、言い訳する、という選択肢以外では「自らの意見を改める」「起きている問題を自分がそれまで思っていたよりも大事なことではないと考える」という行動を他に取ることが考えられます。

認知的不協和を有効に利用する

ちょっとわかりづらいですが、要は「何かをしたいと思う自分と、現実にはそれができていない自分」というものがある状態のときに「〇〇をしたい」という欲望があったとして、その〇〇を実際にしてしまった時に生じる不快感のことを認知的不協和と呼びます。

 ダイエットしたい ⇄ 甘いものが大好きな自分

このとき、

 (ダイエットに反する)ケーキが食べたい 

という状態になってしまった場合、おそらく、人間は誘惑に負けてケーキを食べてしまうことになります(苦痛からは逃れたいと思うのが人間)

これでは、ダイエットしたいと思っていたのに、実際にはそれと反する行動を取ってしまっていることになります。

そして、この場合、言い訳を考えて自分の行動を正当化しようとしたりします。

 ケーキが私を誘惑したからだ

あるいは、

 そもそもダイエットなんてしたくなかった

あるいは、

 このケーキは食べても太らない

あるいは、

 ダイエットなんかに価値はないんだ

こうして、自分がとった行動を正当化しようとします。

あるいは、食べてしまった後は、意図的にダイエットが素晴らしい、という内容の文章や人のアドバイスを拒絶して、自分にとって都合がいい情報(太っている方が長生きできる、など)を選択しようともします。

ものを売ろうとする場合はどうするか?

認知的不協和は、コピーライティングにも使われる手法です。

冒頭で、従来の常識とは違う文言を持ってきて違和感を感じさせておきながら、その違和感を商品のメリットとつなぎ合わせながら、商品を購入することによって劇的に問題が解決できる、ということをアピールする、という手法です。

例えば、従来よりも倍の処理速度があるパソコンがあったとします。

そのパソコンを購入すれば、作業は劇的に効率化できることになります。

そして、購入してもらうお客さんは、処理速度が遅いパソコンを使っている状態にあって、それに不満を持っていてなんとかそれを解決したいと思っている、とします。

この時ありうる流れとしては、

「このパソコンを買ってはいけません」(否定的な文言で違和感を感じさせる)

「なぜなら、このパソコンはあなたの生活を劇的に変えてしまうからです」

「このパソコンを購入すると、これまで1時間かかっていた作業が、たったの10分で終わってしまうようになります」

「これでは、あなたが大好きだったパソコンに触れる時間が劇的に減ってしまいます」(本当は好きではないはずですよね…?これも違和感)

「そればかりか…」(追加して何か商品のメリットがある場合はここでさらにたたみ掛けると効果的)

「ですので、このパソコンは買ってはいけません、あなたが変化を望まないのなら」(違和感に対し、ある種の皮肉を返すことで購買心をあおる)

あるいは、長い文章を記入できないのであれば、長々と内容を書けない分、印象に残る(つまり、相手に認知的不協和を抱かせるような)キャッチコピー を流す、ということが効果的になります。

広告が時代を映す、とか、歌が時代を映す、と言われるのは、もしかすると、人々の心の奥底にある言葉にならない違和感・認知的不協和をうまく発見し、それを形にしているからなのかもしれません。

どこにでもある誘惑とメディアリテラシー

この世の中には、ありとあらゆる誘惑が転がっています。

それくらい、人間の中にはいろいろな悩みや欲望がある、ということであり、あるいはそれだけの問題を抱えることになる、ということの反映でもあります。

そして、それに関連した誘惑が、商品を買ってもらおうという目的から、宣伝といった形で世の中に流れたりしています。

テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、街頭広告、チラシ、パソコン、スマホ、これらすべてには広告が入り込んでいます(広告がないと成り立たないようにもなっている)

これらの媒体を遮断することは、日々の生活を送っていくにはもはや不可能です。

安易なプロパガンダに流されると、社会は一方的な主張に流されることになり、非常に極端な考え方に染まっておかしなことになっていったりもします。

ときには、それで社会全体の方向性を誤らせることだってあります。

そうならないためには、自分の中にメディアとの付き合い方をしっかり自覚しておく必要がありますし、あるいは、認知的不協和の問題を意識しておく必要があるかと思います。

欲求にはいくつかの段階がありますが、結局は、自分自身をどこに持っていきたいのか、ということをしっかりと意識し、それに向けて生きていく努力をしていくことの中に、認知的不協和が起きた時の対処法が隠れていると私は思います。

ですので、自分の中に何かモヤモヤした感情が起きたときは、認知的不協和が起きているのではないか、ということを意識した上で、そのモヤモヤしたものに対して本当は自分はどうしたいと思っているのか、あるいは、誰かがそれにつけこんで来ようとしていないか、(何かを購入しようとするなら)それは本当に正しい選択なのかどうか、について冷静になって考えてみるといいと思います。

最後におまけです…

大昔から、人間の願望は叶いにくいものです。

安易に流れることが悪いとは言いませんが、本当に大事なことを手に入れるためには、自分の生き方を向上させていく、というプロセスは不可欠です。

子どもの頃に欲しかったおもちゃも、おそらく大人になってからだとつまらないものに見えたりすることがあると思いますが、それと同じことが生きているとよく起こります。

欲求の質は、年齢や状態によって変化していきます。

より高次の場所に移ると(つまり、子ども時代から年齢を重ねていった時など)昔見ていたものが違って見える、ということが起こりうるのです。

本当に必要なものは何か、本当にしたいことは何か、これを追求しようと思うのならば、目先の誘惑に囚われることがないようにした方が身のため、とも言えるのかもしれません…

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